ボエーム(ボヘミアン)という言葉は魔力を秘めている。甘くて苦い記憶を呼び覚ます、個人的でありながら、個人を超えて共有し合える想いにひたらせる魔力を。
シャルル・アズナブールの数多いシャンソンのうちでも、代表作のひとつ「ラ・ボエーム」は、このへんを見事に歌いあげている。
‥‥モンマルトルで暮らしたあの頃、ぼくらは若く貧しく、ポーズを取るきみをモデルにキャンバスに向かった。食べることさえかつかつ、それでも窓辺にはリラの花が香り、希望に隘れ、何より二人は愛に結びつけられていた‥‥。
プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」には、詩人、音楽家、哲学者、画家、それぞれのタマゴである4人の青年がアパルトマンで共同生活しているさまが描かれる。
食うや食わずの彼らはもちろん貧しい。それでもその内のひとりにたまたま臨時収入などあれば、たちまち揃って夜の街に繰り出し、女の子を誘い、出来るだけ派手に出来るだけ豪華に、一夜を送る。文無しで凍えつきそうな日には、コートを質に入れてかろうじて薪を手に入れる。
いささか照れ臭い、恥ずかしさすら覚える紋切り型。そのくせ胸の奥深くきゅーんと突き刺さる何かを感じる。‥‥どこか感情移入してしまうところがある。
特にモンマルトルというわけではない。サンフランシスコでもイスタンブールでも、東京の神田川沿いであっても。芸術であれ、文学であれ、哲学・思想であれ、ジャンルも特に問わない。
人間を根源的なところで揺り動かす大きな意味、普遍的な価値の側に立って自分は生きている。そんな自意識に、強烈に支えられた青年群像‥‥。
ただでさえ燃え盛る自意識に自由、正義、恋愛、友情など絡んできたら、さらなる酔いに陶然と身を任せることになるだろう。分別臭い現実生活に背を向け、損得勘定を無視することが、情熱の純粋さと思索の無垢を保証する。
反俗的に生きる。ひもじさと凍える寒さに耐えながら、それが情熱の証しとなる。何者でもないからこそ何者かであろうとする。‥‥多かれ少なかれ、誰のうちにもあって共有される感受性ではないだろうか。
‥‥この感受性はどこから来るのか。
ハムレットやドン・キホーテ、近松門左衛門や滝沢馬琴とは明らかに異なる、この感受性は。
10代から20代にかけて、離合集散を繰り返した仲間とさまざまな形で同人雑誌を作った。昼食を抜いて映画を観、アングラ劇を覗いた後では夜明けまでウイスキー片手に語り合った。
‥‥同人雑誌のかわりにロックバンドであろうと、語り合うかわりに下宿に引き籠もろうと、入れ替え可、一向にかまわない。これに類する想い出は多くの者に心当たりあるところだろう。
だからこそ、アズナブールの唄にいくぶん面映ゆさを覚えながら聞き入りもする。今宵も世界のどこかの都市、劇場でプッチーニのオペラは上演されているに違いない。数々のバリエーションにいたってはそれこそ無数に‥‥。
プッチーニのオペラは、1896年イタリアにて初演と記録にある。その原作はさかのぼること数十年19世紀半ば、これもまたモンマルトルを舞台に、自分たちの生活をモデルにベストセラーとなったアンリ・ミュルジェールの小説「ボエーム情景」だという。
ということは、遅くとも19世紀半ばにはパリで形作られ、意識化されていたものがじわじわと共感を集めて広がり、世紀末にはプッチーニがさらに一般化させた、とまとめてもよさそうだ。
フランス革命によって切り開かれた時代。その反動と、さらにその反動、大きく振り子は振れながら時代は動く。身分制は溶け始め、産業革命の進展のもとに都市に人びとは流入し、混沌と混乱のうちに社会はうごめく。
身分的な束縛からの自由は、身分的に守られた保護から放り出されることをも意味した。
理想、普遍的価値への熱狂と陶酔は、帰るべきところを持たぬ魂の希求する拠り所でもあった。たとえそれが見果てぬ夢であろうと。
解放感と喪失感の綯い交ぜになった、どこにも属さぬ者たちの都会暮らし。何者でもないから何者かであろうとした。
ボエームとは彼らであり、われわれはその系譜の上にある。ノスタルジーを醸しながら、ボエームの物語はいつでも甘く、苦い‥‥。