予備知識のないまま、はじめての街を訪れる。それはいつでも胸躍る出来事だ。
19世紀末のパリを閃光のように照らし出した画家、ロートレック。彼を惹きつけたパリの歓楽街と、貴族の子弟として生まれ育った南仏の美しい町を見比べてみたい。
その好奇心だけで出向いたのが、アルビだった。
フランス南西部、トゥールーズとモンペリエの中間に位置する人口5万前後の中堅都市は、ガロンヌ川の支流タルヌ川に面した交易の町として古い歴史を持つ。
11世紀の建設だというポン・ヴィウ(古い橋)から旧市街は中世の面影を残し、大きな富を蓄えていたあかしとして、赤い煉瓦積みの家並みは独特の風情と風格を漂わせる。
その富は、廉価なインディゴに取って代わられるまで珍重された、青色染料タイセイに負うところが大きかったという。
古い街並みを眺め、近隣のガヤック産、どっしり濃い赤ワインでも楽しんですませられれば、それはそれでいいのだけれど、街のどこを歩いていようと逃れようもなく目につくサント・セシル大聖堂が黙っていない。
この信じがたい大きさ、つるりのっぺりとそそりたつ存在感、威圧感、重圧感をなんと表現すればいいだろう。西側広場に立って見上げるだけで足がすくむ。怖い。逃げ出したくなる。
その規模は常軌を逸している。‥‥たとえようのない建造物は傲慢で権威的、取りつく島もない冷酷さを発散している。他者への不信と拒絶、自己の絶対化。一方的な服従と支配のみを強いる居丈高な権力行使の意思のみが伝わってくる。
そんな外観を目に焼きつけてから、一歩中へ入ると今度は目眩を覚え愕然とする。絢爛豪華と言えば絢爛豪華と言うしかない。
大小様々な彫像からレースのように刻まれた彫刻、天井と壁面をおおうフレスコ画にいたるまで、これでもかこれでもかという細密な色彩の洪水に息を呑む。ダメ押しとでも呼びたくなる装飾過多、過剰、あくどさは日光東照宮と共通するものがある。
しかも、どこか肉感的で少女趣味でもある。黄金色の照り映えのうち、この町の富の象徴であったタイセイの青が清々しく映える分だけ、少女趣味とその裏腹の生臭さが浮き立つ。
外部と内部の極端なアンバランスを示す大聖堂は13世紀、この町の支配者であり宗教指導者であった司教ベルナール・ド・カスタネなる人物によって造られたと聞けば、どうしたってその時代背景を知りたくなる。
当時この地方には、カタリ派キリスト教の信仰が流布していた。ところがローマ教皇はこれを異端とし、討伐のためアルビジョワ十字軍なるものを組織した。要するに異端派の拠点とされたアルビは、正統のお墨付きを得た連中の攻撃目標となったのだ。
血みどろの殺戮と殲滅戦。この攻撃がいかに酸鼻をきわめる強烈なものであったか。‥‥その証拠にカタリ派の教義解釈がいかなるものであり、具体的にはどのような信仰内容を持っていたのか、一切が抹殺され、今に伝わるものはないと言われる。
‥‥まさしくこの大聖堂は戦う「正統」派の要塞だったのだ。居丈高に自己を正当化した者の手で、異端と名指した者たちへ無慈悲に示した暴力を形へと結晶化させたのが、この大聖堂の呆れるほどの外観なのだ。
そしてその内面の持つ過剰な装飾、センチメンタルな少女趣味との対照を見るとき、心身を貫く恐怖にとらわれる。
許すことを知らぬ厳格な断罪者、権力誇示を至上の命題とする血まみれの宗教者は、乙女のように澄んだ視線を投げかけ、情緒的な装いのうちで信仰に陶酔する者だった。
これを狂信者と呼ばずして、何と呼ぶのか。
正直なところ、中世のキリスト教異端派にまで問題意識を広げようとは思わない。‥‥しかし「狂信」は世界史のどの時代、どの地域にも、形を変え姿も新たに現れる。
狂信をこれほど鮮やかに可視化した建造物は、そうそうあるものではない。狂信は、このような形として在る‥‥。顔を引きつらせながら感じ入る。
大聖堂の隣に寄り添うように、司教の個人的な住まいであった宮殿が並んで立っている。庭園から眺める光景の美しさは、狂信者の支配欲、全能感をさぞかし満足させたに違いない。
現在そこはロートレックの美術館になっている。センチメンタルな宗教指導者のお住まいになられた清潔な場には、19世紀パリの歓楽の巷、踊り子、歌手、娼婦たち、そこに群らがる人びとをはじめ、人間の本質的な表情が剝き出しに展示されている‥‥。
これだから面白い。
ロートレック‥‥こういう裁き方もある。