サン・ルイ島に渡るトゥルネル橋のたもとで、シテ島、ノートルダム大聖堂の方向にキャンバスをひろげている人がいる。
傾きゆく陽は画面の左から右へ、光のコントラストに建物は浮き上がり、漂い出すかのようだ。恰幅のよい老画家は見掛けによらず繊細なタッチで絵の具を置いていく。
ぼんやり眺めながら、漠然と視界にひろがる空間を切り取ることが風景画なんだなと思いを新たにした。空漠と横たわる光景、とりとめのない情景から、何物かを意思的に切り取ったとき、はじめて「風景」は立ち上がり、意味を放ち始める。
‥‥写真の世界にしても同じこと。俳句をやる知人もそんなことを言っていた。状況を切り取り結晶化させることで、状況はそれ本来の意味を提示しはじめ、輝きはじめると。
切り取ることが「発見」であり、発見から世界が見えてくる。
そして、これは視界にひろがる空間だけではなく「とき」、時間を軸にした広がりについても同じことが言えるのではないかと考えついた。
「とき」のうちに人びとは暮らしている、日の出日の入り、月のめぐりで生活を組み立て、季節の流れにそって土地を耕し種を蒔く。農業、工業、商業、それぞれの営みがあって、家族を作り、それぞれの文化を紡ぎながら、つないでいく。
それはそうであるけれど、その「とき」たるや茫洋ととめどないものではなかったか。言い換えれば「時代」、切断された「とき」の形として「時代」を呼吸し、感じ取る意識は存在しなかったのではないか。「時代」の発見は案外、最近のことではないだろうか。
宗教絵画に黙示的な世界が描かれたり、宗教説話のうちに仮に「とき」はあっても、真理は不変である以上「時代」という概念は生まれようもない。
古典芸能にしても同じこと、ギリシア悲劇も能・狂言も「時代」など関係ない。時代を超越していると感じるとしたら、それは現代人の感受性というべきで、創り出した彼らに「時代」の想いはない。
祖先の生きた遠い昔と、父母の暮らした昨日と自分のいる今日が、だから自然に重なり合う。「時代」に切り裂かれた、感受性の断裂はない。祖父の苦しみは父の苦しみであり、自分の苦しみである。
完全に一致しつながる、いかに「とき」が移ろうと。
それでは「とき」を切り取ったのは誰だろう。「時代」という観念が芽生え、一般に受け容れられるようになったのはいつだろう。
‥‥自然に考えれば、やはりルネサンスに思いいたる。
十字軍で小アジアから東地中海に遠征、宗教を名目に要するに掠奪と海賊行為を働いた西欧社会は、その掠奪物、現地で見た風物のうちに、忘れ果てていた自らの文化の起源と出会うことになる。
‥‥ギリシアを中心とした古代東地中海文明。忘れられた過去に直面し、切断された時間を見出す。祖先の生きた遠い昔は、自分のいる今日とは異なる。明らかに異なるものとして、そこにあった。ということは父母の暮らした昨日と今日もまた異なるのではないか。
時間は切断される。‥‥切断される時間を意識したとき、単に「移る」ものではなく、同時に時間は連続性としても立ち上がってくる。切断と連続。
これこそ「時代」の発見だった。
時代が発見されたとき、歴史の読み替えがなされる。われわれの歴史はあらたな舞台の上に立ったのだ。それを「近代」の始まりと呼ぶことも可能だろう。
キャンバスに向かっていた恰幅のよい画家は、どこからか林檎を取り出すと皮ごとかぶりつく。さりげなさがいい。いかにもうまそうだ。大気のもと風景を切り取る、それは果敢な、そして頭の中がすっきりする行為であるに違いない。