日没後それほど遅くない夜、梅雨明けから秋の彼岸を迎えるまでのいつか。あまりに茫洋と曖昧で、前後関係はさらにはっきりしない。
月が昇っていた。
石段を上がって木戸を開けると、今まで耳にしたことのない音色が流れてくる。普段よく耳にするピアノやオルガンの音とは違う。テレヴィやラジオで耳にした覚えもない。しんと身内に沁み込んでくる、澄みきったものだった。
父はまだ帰宅しておらず、妹は早く眠ってしまったのか。家に下宿していた学生の叔父と男の子のコンビは、どこからの帰りだったのだろう。
縁側にまわると、端座した母が細長く丸みを帯びた桐の板に張られた糸を、爪ではじいていた。はじかれるたびになんとも言えない音色が舞い上がる。心地良いような寂しいような懐かしいような温かいような哀しいような‥‥。
お帰り。何年ぶりかでお琴を弾いてみたくなって。‥‥坊やははじめてだったかしら。
再び弾き始めた母を、高みを増し光の冴えてきた月が照らす。手許に神経を集中させている母は、いつも見慣れた母と違う。遠いところのひとに見えた。
ぽろんころん、つまびく音の余韻を追うように始まり、ゆるやかな旋律から響きあう音の豊かさ。搔き鳴らすように高まりをみせると、次の瞬間には大きなうねりとなって‥‥。
生まれてはじめて知る感覚だった。
音が夜と空に吸い込まれていく。
そっとあたりをうかがった。
このまま母は月に帰ってしまうんじゃないか、不意にそんなことを感じた。
母がうさぎの年の生まれだということと、かぐや姫の物語が入り混じったのだろうか。月の光と琴の音は、天上から降り注ぎ共鳴し合うようだった。
男の子は立ち尽くしていた。ただ立ち尽くして耳に入り込む音を聞いていた‥‥。
‥‥後年、幼年心理について書かれたものにぱらぱら目を通していたとき、稲妻につらぬかれたようにこのときの光景がよみがえった。前後関係ははっきりしないにもかかわらず、驚くほどの鮮やかさで。
子どもは生まれてからの時間の短かい分だけ「生」以前の世界に近い、という記述に、ああそうだったのかと腑に落ちるものがあった。
あのとき、男の子は月の世界を思い出していたのではないか。
生まれてくる前の世界、それをも彼岸と呼ぶなら、月の世界はこの世に生まれる前の世界、彼岸にほかならなかった‥‥。
此岸にやってきたばかりの子どもは、彼岸の記憶を引きずっている‥‥。
子どもにとって此岸と彼岸は行ったり来たりできるほど近い。有限なる生は無限に飲み込まれ、また無限のうちに有限は生み出される。
‥‥それは母の力によってなされる。子は母によってこの世に生まれ、母によって呼び戻される。
母の力。子は知っている、ここではイザナミと呼ばれる母のことを。
この世を産んだのもイザナミなら、黄泉の国をつかさどるのもイザナミ。母の国から生まれ落ち、母の国へと帰っていく。生きとし生けるもの‥‥。
母は月に帰ってしまう。ひとり地上に残されたまま‥‥しかしまたいつか呼び戻され迎えられる日がめぐってくる。
男の子は、月の光と琴の音にそれを教えられていたのではなかったか。
月の世界など忘れ果て、何も思い描けなくなった今になって、あのときの光景が浮かび上がってくる。
琴の音は澄み、月の光は冴えわたっていた。