運動神経の鈍さときたら目もあてられない。体育の授業、運動会はひたすら惨めさを耐える時間だった。「アタマの弱い子、元気な子」と呟くことでなんとかやり過ごす、歪んだ子ども時代を送った。
スポ根、体育会気質まるきり無縁、ひたすら敬遠する対象でしかない。まして国威発揚、「国家」を背負うスポーツ大会とあっては、見るのも苦痛。なるべく遠く離れている。
こうしてこの歳までやってきたし、これからもそのはずだった。‥‥ところが、ワールドカップでパリの街がざわめいてくると、どうしたものか落ち着かない。野次馬根性がむくむくと頭をもたげてくる。
街のカフェのテラス席に大型のテレヴィ画面が据えつけられ、老若男女を問わず、和気藹々と楽しんでいる姿に惹きつけられ、招き入れられるのを感じる。
炎天下、市庁舎前の大広場やシャン・ド・マルスに集まる熱狂的なファンに混じる気はないけれど、ちょいとカフェでお喋りしながらサッカー観戦というのもオツではないか。覗いてみたい。
などと思っているうちに、最初は冴えないと言われていたフランスチームはリーグ戦を突破すると、順当にトーナメントを勝ち進む。あれよあれよという間に決勝進出、20年ぶりの快挙だと言うではないか。
こうなれば、目星をつけておいた駅近くの大きめカフェへ。キックオフ午後5時直前に出向くと、すでにテラス席は歩道いっぱいに広がり車道にはみだしそうな勢い、直射日光を避けて店内に入ればもちろん満席。ならばと、カウンター前に立ってビールを飲みながら眺めることにする。
日曜日の夕方のせいか、この街区の特徴なのか、家族連れが多い。もちろん若者同士のグループもあれば、ひとりでぶらりという者も。銀行の窓口にでも座っていそうな紳士が大口開けて声援を送るすぐ横では、メガネをかけた黒人の少年が食い入るように画面を眺めている。
パスがつながらなければフー、脚を引っ掛けられればブー、シュートが放たれればウォー、ゴールに入ればそれがワーの大音声に変わる。
一点目を先取したとき、誰よりも大きな歓声を発したのは、カウンターの中でギャルソンたちの総指揮を取り、忙しさのあまり仏頂面をしていたマスターだった。
ふたりの中年女性に介護されながら、よろよろ歩きの老婆が入って来るのを見ると、すかさず若い女の子が席を立って譲る。それに気のついた中年の男性が立ち上がって女の子を座らせる。
初老の女性が、すぐ近くで頰をトリコロールに塗っていたマダムに「いいわね、その頰」と言うと、マダムはバッグから太めの口紅のようなものを取り出しひと塗り、声を掛けた女性の頰に、トリコロールが一瞬でマーキングされる。
感心して見ていると、にっこりこちらを見たマダムが「あなたも」と言うから「ウィ」と応えると、無精髭の生えた頰をひと刷毛トリコロールに染めてくれた。
再びシュートが決まると、誰ともなくラ・マルセイエーズを歌いだし、にわかに合唱となる。思い思いに大声をあげての大合唱。これが下手。揃いも揃って、救いのない下手くそ。皆でがなりたてているのは、かろうじて国歌なのだと分かる。
トリコロールの小旗がそこここで振られ、トリコロールの雄鶏の帽子、トリコロールの頰紅。いつの間にかその中に自分もいる。‥‥このわだかまりのなさはなんだろう。この垣根のない、解放感はなんなのだろう‥‥。
多様性、雑多な要素がごく自然に混ざり合って在る。チームメンバーの構成からして、肌の色も違えば生活習慣だって異なる者たちが「フランス人チーム」を作り出している。
緊張するとちょっと寂しげな表情になる小柄なアタッカーは、古いフランス映画に出てくる典型的な少年のイメージだなと思っていたら、両親はポルトガル系とドイツ系なのだそう。‥‥一事が万事。出身も人種も関係なく、さまざまな形でひとつの統合を生む。
思い思いに歌われるラ・マルセイエーズ、適当に飾られ振り回されるトリコロールは、まさしく統合のシンボルだ。
それらは彼らの手による、彼らのものだった。闘い取り、作り出し、伝えてきた国歌であり、国旗だった。‥‥ジャズ風にアレンジして演奏しただけで職を奪われ、直立不動で歌うことを強制されるような硬直した、畏れおおい「お上の歌」なんかでは断じてない。
自分らの歌を腹の底から自由に歌い、自分らのマークを示し合い、連帯感を表わす。そこにあるのは「国家」ではない。「くに」だ。故郷、故里、郷里という文字をあてるのこそふさわしい「くに」だ。
試合の終了時刻までのびのびと、身体能力の限界に挑戦する。アタマの弱い子には及びもつかぬ精神力を要する知的な営為だ。それこそ「体育」「体育会」とは別のものだ。
ワールドカップ決勝戦をパリのカフェで見る、これは幸せな体験だった。永年にわたる「国家」と「体育」の呪縛から解き放たれて。