2012年の個人的なキイワードはこの四つに集約される。
60歳まで馬齢を重ねれば、否でも応でもひとは還暦を迎える。勤め人の場合、退職も還暦とセットだから、これまた自然にやってくる。もっとも退職後さらに雇用形態を変えて働くという選択肢も一般的になりつつあったから、還暦を機に仕事はしない。する気もない。もう会社勤めなど金輪際結構。かなり恵まれた職場環境ではあったけれど、皆で一丸となって利潤の追求というのに疲れ切ったのだから仕方ない。
隠居、年金生活者、熟年不労者、初老浪人、なんと呼ばれようがもう充分、退職者たることを選んだのはひとつの意志ではあった。だからと言って特に珍しい話ではない。
それを契機に、身辺整理をと考えたのも自然な流れだと思う。
人生のどこかで一度、大掃除をする必要を感じていた。
人間ある程度の時間を生きていれば、ほこりもたまればチリも積もる。いらないものが大きな顔をし、本当に必要なものは見えなくなる。
身辺整理の欲求は、だからそんな高邁な精神でもなければ、立派な意思に導かれてというのでもない。このまま交通事故にでも遭ってそのままになったらちょっとまずいんじゃないの、そんな気持ちの延長線上というのがふさわしい。
もう東京で暮らす気はしない。その必要もない。どこで暮らすにしても、東京に戻ろうとは思わない。気候も変わり、町も変わり、人も変わった。ぼくの生まれ過ごした東京はすでに失われ、記憶の内にしかないも同然だから未練もない。
したがって東京の家を処分する。
家具、調度の類いも処分する。
会社勤めから解放されたのだから、通勤用スーツの類いも処分。
持ち物のうち量的にもっとも多くのスペースをふさいでいた書籍類も大幅処分。これからは今まで読んで意識に残ったものの再読を読書の基本とする。
人間関係も大きく整理。
なれ合い、もたれ合い、腐れ縁、なんとなく、仕方なく、我慢して、お付き合いだから、この類いは見直す。
世間という言葉に煩わされる生活にはおさらばする。
断捨離という言葉があるそうだ。
まずは切り捨て、断ち切る、そうすることで本当に大切なもの、必要なものが浮かびあがってくる。あらためるべき現実、更新すべき関係が見えてくる。
口にするほど簡単ではなかった。家人とのぶつかり合いはじめ、今や笑い噺となったエピソードも数多いから、どこかであらためてご披露する機会があるかもしれない。ともかく、それでもなんとか持ち物の多くを処分出来たのは、渡仏という目標に向けてまずは突っ走る合意をなんとか成立させていたからだろう。
とここまで、還暦、退職、身辺整理まではどうやら自然の流れとして語れるし、ご理解もいただけるだろうと思う。ところが、どうして渡仏なのか、となると説明が難しい。本人にもよくわかっていないのだ。
30代後半、もうじき不惑40歳を迎えることを意識しながら訪れたパリの街で衝撃を受けた。もっと若ければそんなことはなかっただろう。もっと年を取っていてもそこまで強く意識することはなかったかもしれない。
要するに来し方を振り返り、行く末に想いを馳せる年代にさしかかったちょうどそのときだったというのが大きかった。今にしてそう思う。‥‥ここはぼくが暮らさなくてはならない街だと感じた。電撃のようにそう確信した。
それが何故なのか。
それを理解するためにも渡仏するしかない。
衝撃を受けて以来、幾度かこの町を訪れての結論だった。
ロンドンでもリスボンでもなく、カルカッタでもなくクアラルンプールでもなく、なぜパリなのか。このサイト全体を貫くテーマの大きなひとつであり、この問い掛けと向き合うことがぼくのテーマとなった。
2012年。2月に還暦を迎え、12月も下旬になってなんとか飛び立つことが出来た。
冷たい風の吹き抜ける石の街、冬至のどん詰まりのパリに到着したところからぼくの現在が始まった。