コンビニのある町、コンビニしかない町

フランス語で喋るレベルにない以上、会話の成り立つフランス人はいきおい日本語を話せるフランス人ということになる。

日本語を話せるということは日本人とカップルになっている人をはじめ、基本的に日本びいきの方たちだから、特に日本を旅行した後などうっとり夢見たような口調で語る。

居酒屋、小料理屋の素晴らしさ。小鉢と料理を適宜、随時頼みながら気分に応じて、一杯だけ引っかけることも出来れば腰を落ち着けいつまで飲んでいてもいい。場合によっては明け方までだって。‥‥料理とお酒とシステムの三位一体、カフェ文化に匹敵する居酒屋の魅力を分かち合えるのは嬉しい。

ウォッシュレットの快適さ。顔を洗うように尻を洗う。この心地よさ、これこそ文明の名に値する。‥‥深く同感。この喜びに接したフランス人たちは、今や徐々にこの文明の利器を広めつつある。

コンビニ、スーパーの便利さ。24時間利用出来て、なんでも揃う。困らない、夜中でも町が明るくほっとする。‥‥ううむ。少しだけ日本を訪れた者にはこう映るのだろう。これには曖昧に笑うしかない。

明る過ぎるほど明るい白々しい明かりは、現代の巨大な誘蛾灯。滅びゆく島国の弔いの灯にしか映らない‥‥などとはまさか言えない。

何十年前だったか。「真夜中に、なぜか無性にお稲荷さんを食べたくなった。‥‥開いててよかった」、そんなコマーシャルが流れ、近くにこういう店が一軒くらいあればありがたい、そう感じた。

だから家近くの商店街にオープンしたときは嬉しかった。缶ビールとつまみのピーナッツがこれでいつでも手に入る。実際に利用するかどうかは別にして、いつでも利用可能な店がそこに在る。この思いこそ、なにか生活のゆとりのような気がした。

以後コンビニと、資本系列化されたスーパーはタッグを組んで、着実に増加していった。

‥‥活きのいい魚のウロコをしゃりしゃり落として手早く三枚に下ろしてくれる、ねじり鉢巻のおじさんが消えた。香りのいい信州味噌から白味噌、八丁味噌まで樽を並べ、味見させては醱酵具合を説明してくれたじいさんが消えた。

塩辛声を張り上げて客を呼び込んでいた八百屋のにいさんも消え、ほかほかの焼きたての食パンを包んでくれたおばさんも消えた。立ち読みしていると陰険な顔でこちらを見つめる本屋のオヤジも消え、海苔とお茶、乾物の奥にちょこんと座って店番をしていた婆さんも消えた。

何を作るのか聞いてから最適の部位を切り分けてくれた講釈好きな肉屋の大将も消え、上品な卵形の顔がそっくりな文房具屋の母娘も消え、全国各地の地酒発掘と研究に余念のない酒屋の若夫婦も消えた。

利便性。この一点を選択したとき、商店街は姿を変えた。スーパーとコンビニと駐車場と‥‥。姿を変えた、というのは違う、商店街は死んだ、さまざまな創意工夫と品揃えという多様性に支えられた街は失われた。

利便性。その徹底的な追求の生み出したコンビニ、スーパーに並ぶのは、生産調整可能、画一性、流通の効率化、在庫管理の徹底、コストダウンの合理的経済性、当然の帰結として規格化された工業製品のみとなる。

ビールもどきの缶入り発泡アルコール飲料が並び、いまだ正体のはっきりしないコーラの缶が積み上げられ、濃縮還元されたフルーツ飲料の紙パックの隣には、殺菌消毒され薄められたミルクに似た液体の紙パックが一分の隙もなく整然とおさまっている。

薄切りされてパックされたハムは、人工飼料で無理やり太らされ陽の光を目にしたことのない豚の肉を、各種化学薬品で歯ごたえから粘りけ、味付けをして発色剤で仕上げられたもの。

いつまで経っても柔らかさを失わず、水けを含み、カビの生えない食パン。ウロコはもとより皮は薄く骨も取られ小骨一本なくパックされた養殖の「鮮魚」。工場のケージの中で雄鶏の存在も知らぬまま雌鶏の産みつづけた卵。

青々と虫も寄せつけずたっぷりの農薬と除草剤で育った野菜、遺伝子組み替えで安定した品質と生産量の約束されることになった乾物、漬け物、醱酵食品。食用油も味醂風調味料ももちろん化学製品。

色とりどりのパッケージで、店中に商品は溢れている。溢れているどころか、わずかに賞味期限が過ぎればただちに廃棄される、行き届いた管理と品揃えが徹底している。

商店街が消えたのと同時期に、家庭的な食卓、一家団欒の場は壊れ、地域社会は荒廃した。気がつけば、とっくに農漁業は成り立たないものになっている‥‥。

利便性を選んだ。しかし利便性だけを選んだつもりはなかった。‥‥そうは言っても‥‥。

コンビニが生活に入り込んできたとき、なにか途轍もなく大きなシステムに組み込まれてしまったのではないか。もはや降りようのないシステムに。

それがいかなるシステムなのか、はっきりとは摑めない。しかし、われわれがこのようなシステムに異様に、一面的に同調しがちな者であることだけは、骨身に沁みて分かった。

分かったときには‥‥。

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