パリの病院、婦人科に付き添う

雨あがり

念のために、と受けた家人の精密検査の結果が出る日。通訳のついてくれる病院なので、医師とのコミュニケーションに問題はない。どうせ何でもないと確信があったけれど、神経質な小心者のうえ極度の方向オンチを放っておくわけにもいかず、同道することにした。

パリ西郊の総合病院婦人科。待合室のゆったりした長椅子に腰をおろすと、向かい合わせ、目の前のソファにちょうどわれわれと同世代のマダム、付き添いのムッシューが腰を降ろしている。

眼鏡を取り出し、分厚い検査結果の束にマダムは目を通し、その隣でオランジーナの壜を手にしたムッシューは、硬い表情のマダムに時折耳許で何か囁いたり、呟いたり、顔を覗き込んでは笑いかけたりする。気分をほぐそうとする、サーヴィス精神なのだろう。

待っているのは彼らだけだから、それほど待たされずにすむ。持ってきた本を開きながら、しかし視線はしっかり前の夫婦をうかがう。カフェでもメトロでも、ヒューマン・ウォッチングこそ無上の喜び。

この点では同好の士である家人に「くれぐれも、あまり露骨に見ないように」と声を掛ける。「分かってる」。絶対に日本語は通じないとの確信があるから、声をひそめるまでもない。それが気楽でいい。

グレーがかった髪をアップにしているマダムは知的な印象。数値の印字されたものと、その数値に関する説明文を照らし合わせるように読み比べている。

ブルーがかったカーディガンを羽織り、その色は瞳の色に合わせられている。メガネのフレームもハンドバッグにヒールの靴も同系色であることに気づく。このいくぶんくすんだブルーが、マダムのテーマカラーらしい。

すぐ横のムッシューは巻き毛がお茶目ながっしり型。われわれと同年代でもいまだ現役の印象。と言うことは個人事業か、それほど大きくはないけれど確実に利益を生み出している会社の経営者か、そんなところ。黒っぽいシャツに物のよさそうなグレーのセーター、赤いズボンがよく似合う。下品にならずにカジュアル。

同年輩の彼ら二人が出会ったのは‥‥。ムッシューの囁きに時どき仕方ないわねという感じで笑みを浮かべ、それでもマダムは書類から目を離さない。これはかなり年季の入ったカップルだとお見受けする。

学生時代からの、いや幼な馴染みってことだって考えられる。‥‥真面目にノートを取って勉強したのはマダムの方で、いつも剽軽に立ち回っていたムッシューは、テニスやラグビーに夢中だった‥‥。

オランジーナの壜を手にしたままムッシューが立ち上がると、大廊下の方へふらふら出て行く。その2、3分後、背の高い潑剌とした妊婦を笑顔で送り出した医師が、マダムの名を呼びながらこちらを覗く。

「お先に」と声を掛けて立ち上がったマダムは、待合室のすぐ外でスーツ姿の医師と握手しながら、夫がすぐ来ますからとでも言っているのだろう。落ち着いて何かお喋りしている。

そこへムッシュー、売店で仕入れてきたに違いない、両手にポテトチップスやらチョコレートやらの紙包みを持って戻ってくると、あわてて医師に挨拶、三人、応接セットの置かれた執務室に入って行く。

フランスの病院でまず驚いたのは、医師と患者の関係が対等の市民同士であること。上下関係ではなく、強者弱者の関係ではなく、五分五分の人間対人間であること。ごく自然に握手をし、挨拶を交わす。それはどこの病院でも街の診療所でも同じ。医師が見下し、患者が卑屈にへこへこするなどあり得ない。金銭を贈るなどもっとあり得ない。

慣れてくれば当たり前。当たり前が当たり前でない社会からやって来たからこそ驚く。

応接セットに腰を掛けると、患者の納得のいくまで医師は説明し、とことんディスカッションする。時にメモ用紙の切れ端に図を描きながら、時に皮肉なユーモアをまじえて。

それはいい。しかし、患者が納得しないとなるといくらでも時間は延びるということになる。待つ方の、患者もしくは患者予備軍同士の‥‥これがソリダリテ、連帯の求められる場面なのだ。

われわれの時間帯の次の約束なのだろう、スカーフをまとったアラブ系の女性が登場。付き添い数名、年配のご婦人から少女までを従えるように、奥の広くなった箇所に入ると一団となって腰をおろす。

これまた魅力的なウォッチングの対象の到来ではあるけれど、ともかくマダムとムッシュー、待てど暮らせど出て来ない。

いや正確には一度出て来かけた、ドアからひとり真っ先に出て来たムッシューがそこではたと立ち止まり、踵(きびす)を返すや、再びドアの内側へと消えたのだ。

奥のソファでは茶話会でも開かれているようなお喋り。髪を覆い、身体の線の分からぬたっぷりした服の一団は神秘的に映ったものだった。いつしかこれにも見慣れ、多様な人びとの一部となった。それでもこうして病院に数人で訪れるとはどういうことだろう。何を意味するのだろう。だいたい誰が受診者なのかも判断できない。一族の一大事なのか、ごく普通の日常の延長なのか。

‥‥やっと出て来たムッシューはすっかりしょげかえっている。オランジーナの壜と菓子袋を手にしたまま、俯き加減に出てくる。送りに出て来た医師と握手するのも忘れてしまいそうなくらい。

医師とちゃんと挨拶を交わし、ムッシューを笑いながらなぐさめるのはマダムの方で、こちらにもにこやかな笑みで会釈してから立ち去った‥‥。

あくまで念のためだった家人の検査結果はやはり問題なしですんだが、図を描きながら丁寧に説明してくれた。通訳を挟んで打ち解けた微笑みを交わし合う。

それにしても、仮になんらかの問題ありだったとしたら、あのムッシューのように振る舞っただろうか。‥‥いいや。少なくともああ振る舞えたら楽だろうなとは思う。

文化の問題なのか、個人の資質の問題なのか‥‥。‥‥多分、両方だろう。

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