歿後20年にあたる2017年は、その生涯の映画化はじめ何かとバルバラが話題にのぼった。日本でも根強い人気を誇る歌手にして詩人、作曲家でもある彼女を強く意識するようになったのは1970年代のはじめだった。
文芸同人誌の仲間に奥Tくんがいた。研ぎ澄まされた感性を持ちながら、感受性の網目に引っ掛かってくるものをなかなか言葉に結晶化できない。そんな自分をいつももどかしそうにしていた彼から「聞いてみてくれないか」と、手渡されたレコードがバルバラだった。
バルバラの唄はひと筋縄ではいかない。なにげなさそうに花の美しさを歌いながら、花の陰にはトゲが秘められている。澄み渡った青空を歌っても、そこには迫り来る嵐の予兆がある。
比較的単純なシテュエーションを歌っているように感じられる、アルバムの表題曲「いつ帰ってくるの」にしても例外ではなかった。
‥‥春には必ず戻る、これが最後だからと約束して出掛けていった男。待てど暮らせど戻ってこない。約束の春が過ぎ、夏が来て、秋が終わろうとしても。むなしく時は流れ、もはや待つことにたえられそうもない‥‥。
バルバラ全盛期の唄声は、錆びたナイフの無機的な響きがある。聴いている者をただ落ち着いて聞かせはしない、微笑みのうちにくつろがせはしない。なにかしら気分を波立たせる、気持ちを揺さぶる、不安におとしいれる‥‥。
春まで、と言いながらこの男はどこへ出掛けていったのだろう。ひとりで出向く、どのような理由があったのだろう。‥‥そもそもこの男は何者なのだろう。
バルバラの歌詞は基本的にモノローグで、ひとり芝居の台詞のようなものだから、うかうかしていると語られた内容をそのままなんとなく信じ込まされてしまう、了解してしまう仕掛けになっている。ひとつひとつの単語は明晰でありながら全体としては茫洋とした、曖昧な内容を。
語られている言葉を無邪気に、まるごと受け止めているだけでいいのだろうか。そんな疑問が頭をよぎる。まるきりの噓とまでは言わないとしても、多義的な意味が含み込まれているかもしれない、ある種の仄めかしや隠された意味がないとも言い切れない。
‥‥それも、モノローグの語り手を十全に確かな、正気な存在であるという前提に立っての話だ。
かのヌーヴェルヴァーグ映画の鬼才ジャンリュック・ゴダールとの恋愛、新婚時代を綴ったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説をぱらぱらめくっていると、こんな一節が目に入ってきた。
ゴダールと入った、トリュフォー行きつけのレストランはゆったりとして客はあまりいなかったけれど、ひとり、おごそかで神秘的な雰囲気の女性がテーブルについていた。コートを着たまま、毛皮の襟で顔の下半分を覆うように、長いシガレットを吸うさまはエレガントだった。バルバラだわ、と気づくとゴダールは言った。そう、彼女だよ。よくここに来るそうだ、大抵はひとりきりで。
アンヌ・ヴィアゼムスキーの主演する「中国女」撮影前後の頃だから1966年か1967年、68年5月を頂点とする闘いへとパリの民衆たちの動き始めた頃、落ち着いた雰囲気のレストランでひとり夕食のテーブルに向かうバルバラ。
この時代にこんなふうにゴダール、トリュフォーたちとバルバラが擦れ違う‥‥。そのこと自体奇跡的な出来事だと感じながら、ほんの数行の文章に残されたシーンを思い描いてみる。どきりとするほど、それは唄から感じられる彼女のイメージに近い。
当時のレストランでひとり客、それも女性のひとり客は珍しい部類だっただろう。おごそかに神秘的に、マントと襟巻きに身をくるんだまま悠然と長いタバコをくゆらしている。
‥‥歌手の姿を書き留めたアンヌ・ヴィアゼムスキーも2017年、鬼籍に入った。
細身の身体はバネ仕掛けのよう、リズム感抜群の奥Tくんは、詩にこだわるよりパントマイムが向いているかもしれないと本気で言っていた。運動神経ゼロ、リズム感なし、詩とか韻文とかとは無縁な不器用さが新鮮に映ったのだろうか、コンパの席でもよく隣に腰掛けてきた。
いつでも吸いかけのタバコを長い指の間に挟んでいた。無類の珈琲好きで、潔癖性。そのくせドジ。吸いかけのタバコを指に挟んでいることを忘れてヤケドをする。いつの間にやら落としていてズボンに丸い焼け孔を作った。
親からの仕送りの入った封筒を、うっかり古新聞の束に入れてチリ紙交換に出してしまったこともある。それも一度や二度ではない。そんなときには地下鉄の工事現場にアルバイトに出掛けた。
大学を卒業後、郷里に戻った奥Tくんからの消息は、数年のうちにふつりと途切れた。跡形もなく。煙が搔き消えるように。電話も不通、手紙も年賀状も宛先人不明で戻ってきた。
20代前半の時を共有した仲間と顔を合わせることがあっても、それぞれ首をかしげるばかり。どこかしら、なにかしら噂話のひとつも聞こえてくるものだけれど、彼について何も流れてはこない。
いつ帰ってくるの。‥‥と、バルバラは歌う。
しかし、彼は春になったら戻ってくると約束さえしなかった。そもそも出掛けるとさえ言いはしなかった。