サマータイムが終わると夜の長さを実感する日々が訪れる。トゥーサン(万聖節)に始まり、花屋の店先が菊の花の香りで満たされるパリの11月は、追憶の季節と呼ぶにふさわしい。
2017年11月13日、パリ連続テロ2周年。コンサート中になされた無差別銃撃で多くの犠牲者を出し、この事件の象徴的な存在となった劇場バタクラン前では、遺族たちを中心に記念式典が催された。
2年という歳月は心の傷を癒やすに充分ではない。いまだ生々しく深い喪失感は、遺族の精神の襞(ひだ)に波のように押し寄せ、染み込んでくる。テレヴィ画面に映し出された遺族の表情を見るにつけ、これは市民、それも人種、国籍を超えたすべての市民に突きつけられた刃(やいば)なのだということが伝わってくる。
ミッテランやシラクを知り、ジスカールデスタンを覚えている年代としてはずいぶん大統領も小粒になったとの印象を拭えない。マクロン青年にいたってはどこかの窓口の優秀な担当事務員といった感じ。それに比べ、経験の呼び込んだ自信なのか、パリ市長イダルゴ女史は存在感を増した気がする。
政権首脳や市民代表があらためて連帯を呼びかけ、追悼の意を捧げる。そして式典のハイライト、不条理な悲劇について彫り込んだプレートの取り付け。‥‥忘れない。ここで起きた事件、事実、事象を忘れない。胸に刻みおく。そのための儀式。
こういう場面で強調されるコメモラシオンという言葉がテロップに幾度も流れ、あわてて仏和大辞典を取り出してみる。commémoration 記念祭、追悼、記念、追憶‥‥。
これだけでは、あまりにあっさりしているのでもう少し辞書をめくってみる。com- は「共に、同時に、相互に」を表す接頭語、mémorationは心理学で記憶の喚起を意味する、mémoire記憶、回想からの派生語。
‥‥共に思い出す、一緒に思い起こすといったニュアンスだと解釈すればいいだろう。記憶の共有、歴史の共有という意識の組み込まれているのは言うまでもない。
それをつくづく思い知らされたのは、この連続テロ記念日の2日前、第一次世界大戦終結99年にあたる11月11日のことだった。

ドイツ、フランス、かつての敵国同士がここ数十年をかけて築きあげてきた信頼関係、友好関係の成果が強調され、そこに「ひとつの歴史、ふたつの国」とキイワードのように示された。
事件、事実、事象、ひとつひとつ否定しようのない現実。塹壕に引き籠もっての絶望的な戦い、機関銃を積んだ飛行機の登場、毒ガスの投入‥‥人殺しという野蛮のために考え出され殺戮に供された、すべて実際の、歴史的な現実なのだ。
この現実を受け止める、引き受ける。いかに残酷であろうと深刻であろうと悲劇的であろうと。この現実の積み重なりの上に第一次大戦の全体像がかろうじて浮かび上がってくる。それをしっかり見据え合う必要がある。
揺るぎない現実として、ひとつの歴史を受け容れる。そこから始まる。歴史的な現実を受け容れたとき、個々人の経験や思いは、それぞれの歴史認識となり世界観をつむぎ始める。
最前線で銃の重みを肩に感じていた兵士、戦場に息子を送り出した農民夫婦、武器製造であぶく銭を稼いだ資本家、夫の帰りをひたすら祈る妻、戦争とは無関係に生きようともがく神父、野戦病院に働く医師と看護婦‥‥。
さまざまな形、さまざまな立場で形作られ蓄えられた歴史認識であり、世界観であるからこそ語り合う意味がある。語り合う中からさらに開かれていく視界の大きさがある。ひとが生き、共に作り出す「知」の豊かさがある。
血にまみれた歴史の迷路をさまよいながら、獲得するにいたったコメモラシオンという知恵。‥‥人間、ひとつ賢くなるためにはなんと多くの時間と犠牲を必要とすることか、と溜め息をつきながら、その知恵のもとに在る幸せを感じる。
もちろん、この知恵を獲得したからと言って、何もかもただちにうまくいくはずもない。宗教。植民地主義。そしてユダヤ人問題。‥‥もつれにもつれ、こんがらかったまま幾世紀も経てきた問題はいくらでもある。まだまだ向き合いきれず、歴史化できぬまま現在を縛る亡霊となっている現実も数々ある。この国に暮らすようになって実感することでもある。
それにもかかわらず、素朴に敬意を覚える。
コメモラシオン。記憶を共有し歴史を共有する。記憶への冒瀆と侮辱を許さない。ここから始める「知」の王道に対して。
東洋の島国の現状に、心底からの羞恥と屈辱を抱きつつ。
開け放った窓から菊の香が入り込む。凛とした香りに包まれ、我にもあらず硬い言葉の羅列となった。