オオムラサキを見た日

静岡・藤枝で墓参をすませ、妻の実家のある信州・伊那に向かう。母を亡くしてからの数年、それが夏の休暇の行動パターンだった。1980年代、三十代を迎えたばかりの頃。

車で送って行くよ。藤枝から伊那までならひとっ走りだから。‥‥下駄履きのように車を乗りこなし、神出鬼没のマサミ叔父は気軽にそう言い、秋葉街道を行ってみたいな。‥‥なにげなくそう言うと、「ようし、そりゃ一泊キャンプコースだな」。アウトドアの面白さを理解できぬ甥を、常々歯痒く感じている叔父は嬉しそうに笑った。

火除け、火伏せの神として尊崇される秋葉神社。火事と喧嘩は江戸の華と言われるくらい火事の多かった江戸時代には「講」を組んで参詣する者の絶えなかったという神社を、一度訪れてみたいと思っていた。

八月末の青空のもと、そこまでは順調な物見遊山、いわばごく当たり前のドライブだった。‥‥せっかくだから、ちょっと山の中を回って行こうか。林道がうねうねつづいて、森林浴がてら行くのは気持ちいいぞ。

言うが早いか、車は森の中、というより山の中に入り込んで行った。

舗装などとんでもない、砂利も敷いていない、剝き出しの大地にうがたれた二本のわだちが、かろうじてここが道路であることを示している。どう見たって涸れた沢を切り崩したような急斜面の登り道。かと思えば飛び出た木の根っこでバウンドし、スリップするように駆け下りる坂。

右に揺れ左に振られ、上に飛び上がり下に叩きつけられる。「どうだい、おもしろいだろ」。後部座席の妻と物心ついたばかりの娘がひゃあひゃあ言いながらも案外楽しそうなので、助手席の甥としてもびくついてはいられない。‥‥「こんな体験、まず出来ないね」と言うと、邪気のない顔で笑った。50歳になったかならぬか、しかし昔と少しも変わらぬ少年の顔だった。

マサミ叔父は東京の大学に進んだのを機に、我が家に下宿。以降、就職してからもしばらく、合わせて6、7年は一つ屋根の下に暮らしたことになる。姉5人の末っ子長男だったマサミ叔父にとって、十数歳離れていても、甥の存在は弟分そのものであったのかもしれない。東京を引き揚げ、故郷に戻ってからも、何かと言えば吹っ飛んで来てくれた。

入り組んだつづら折りの連続‥‥鎖やロープの張ってある箇所もあったが、マサミ叔父は難なく迂回するかと思えば、降り立って鍵を開けたりする。密猟やゴミの不法投棄を防ぐためのもので、ツーリングを楽しむ仲間内では鍵の在りかや開け方を知っているのだそうだ。

ジープならもっとやれるんだが。前輪駆動でもここまでだな。‥‥自動車の運転とは縁のない当方にはちんぷんかんぷんのまま、当然ながら方向感覚も何もすっかり失った頃、杉の大木に囲まれたひときわ荘厳な神社が現われ、とっぷり沈みゆく陽の残照を受けて何本もの幡がひるがえっていた。

普段当たり前に暮らしている世界が、不意にやわな薄皮のようにぺなぺななものになったように感じられる。たちどころに薄皮が引き剝がされると、何かもっと基底に横たわるものが、剝き出しに立ち上がってくる。

避けがたく夜の闇がやってくる。これほど切実に感じたことはなかった。毛穴という毛穴の縮み上がる感覚。

あれは山住神社。山犬、つまり狼、狼信仰の神社だよ。‥‥事も無げのマサミ叔父に、妻と顔を見合わせる。こんな体験、まず出来るもんじゃない。これは声には出さず、夫婦で共有した想い。

南アルプスの斜面を縫うようにつづく古い秋葉街道、コスモスの咲く村里をゆっくり、鉱泉ででも休んでというはずだったのだけれど‥‥。

シーズンオフというわけでもないだろうに、キャンプ場の駐車場にはわれわれのみ、なんとかすべりこんだのは真っ暗に陽の落ちた後だった。仕事帰り、たまたま見えた宵の明星を車で追いかけ、いつの間にか入り込んだ山中で一泊、そのまま翌日出勤なんていうことを年中やっているから、マサミ叔父の車の中にはキャンプ用品が一揃い常備されている。

手早く火を起こして焚き火、飯盒炊飯、湯を沸かしレトルトカレーを温め、ウイスキーのお湯割りを作る。その手際の良さ。満天の星空を眺めながら。

‥‥おいおい来てみろよ。

テントが小さいので妻と子どもを休ませ、自動車内でうつらうつらしていると、愛用のシュラーフに身を包んで戸外で眠っていたマサミ叔父が、ドアを叩いた。

ぐずぐずせずに。急げよ。

一面の朝霧の中、山岳ドライヴの余韻のさめぬ頭を抱えながら、しぶしぶマサミ叔父の背中を追う。

見ろよ。そこだ、そこ。

睡眠不足と濃い霧でぼんやりとしていた視界が、少しずつ開かれていく。‥‥2、3メートル先を、10センチ四方の布切れのようなものがひらひら2枚、宙を舞っている。青というか紫というか、はたまた茶というか、白っぽい斑点を散らし、絹のような光沢を放っている。

オオムラサキだよ、国蝶の。それもオスメスつがい。滅多に見られるもんじゃない、よく見ておけよ。‥‥ここはキャンプ場の便所裏だろ、排泄物、腐敗臭があると寄ってくる。でもまさか、ここで見掛けるとはな。運がよかった。

大き過ぎる羽をこれだけ揺らすのは、大変な労働だろう。彼らが舞うにつれて霧は晴れ、陽射しが濃くなるのを感じた。

並外れた好奇心と集中力、そして人一倍の飽きっぽさ。そんなマサミ叔父のうちで昆虫好きだけは首尾一貫している、とこのとき感じた。小学校の図書館から借りて来た「ファーブルの昆虫記」を読んでいると、やたら解説したがって周りをうろちょろしていたものだった‥‥。

ファーブルのように生きたかったのだろうな、と思う。ただ他に関心が多過ぎた。

推理小説とモダンジャズ、少なくともこの二つのジャンルはマサミ叔父の手ほどきがなければ、スムーズな出会いはなかっただろう。

覚悟はしていた。

最後は、強いモルヒネの点滴を自分で選んだ。よほどの痛みだったのだろう。深い眠りに入ったと聞いたとき、不意に30年前のオオムラサキが見えた。

薄れゆく朝霧の中で絹の光沢を放つ、巨大な蝶。

ほんのわずか、瞬く間の出会いだった。つがいの蝶がどこへ向かって飛び去ったのかまでは思い出せぬほど。