東京郊外最寄りの私鉄駅改札口近く、チエンマイ出身の奥さんと大阪出身の亭主、夫婦ふたりでやっているタイ料理屋があった。カウンターと四人用テーブル席三つほどの狭い店ながら繁昌していた。
味のバランスがいいのはご夫婦それぞれの味覚のぶつかり合いの成果だろうと思っていたら、「あくまでカミさんの郷里の味」だそうで、それに惚れ込んでいるとのこと。少し貯金が出来たら店閉めてチエンマイに引き揚げるつもりだとも。
それほど惚れ込んだ究極の一品は、と訊ねると、うーんとしばらく考え込んでいた亭主、「究極の、っていうのはやはりシンプルな旨さってことじゃないですかね」と言う。
タイの米、香り米、これがもう最高でね。炊きたてを茶碗によそったら目玉焼きをのせる。卵は自家製、家内の実家は農家ですから、庭で放し飼いの鶏、その卵です。フライパンで白身に火が通ったら、黄身はほとんどナマの状態で、さっと。そしてタイの醤油、魚醤ですね、これを少々。‥‥黄身ごと崩して、アツアツのところを混ぜながら食う。これですね、まず、これにまさるものなしです。
スパイシーな辛味のきいたエビの炒め物や、タケノコの歯ごたえとココナッツの濃厚な風味漂うグリーンカレーを味わいながら、関西訛りの標準語で語られる亭主の話に、さらに生唾を吞み込む思いになっているのだから世話はない。
シンプルな旨さ‥‥。
昭和30年代の子どもとしては、おふくろの握ってくれたおにぎりを思い出す。ごはんと梅干しと海苔、塩少々。それだけ。たったそれだけなのに、いやそれだけだからこそあれほど旨かったというべきなのだろう。
硬めに炊いたごはんをアツアツのうちに握る。この力の入れ具合がなんとも難かしい。ぎっしりみっちりはダメ、めし粒が互いを侵し合って半分餅状に、なんていうのは論外。
梅は塩と赤紫蘇のみで漬けたもの。他の化学調味料や添加物は一切なし、などと言うと現在市販のものでは高価だったり希少価値だったりするようだが、当時はそれが当たり前だった。祖母の漬けたものが台所にころがっていた。
海苔も妙な加工などなされていなかった。コンロに火を入れ、手早くあぶる。真っ黒の紙切れ状だった海苔に、うっすら緑が戻りぱりっとしてくると、磯の香が鼻先を撫でる。
塩水にくぐらせた手で、ほぐした梅を巻き込むように「アツいアツい」と母はごはんを握る。丸みを帯びふっくらとした三角形。まんべんなく海苔に包まれたものが好みだった。
遠足とか運動会とか、「お弁当は何がいい」と聞かれれば、迷わず注文したのはこれだった。
海苔の香ばしさを鼻先に楽しみながらがぶり齧ると、粘りけを失わぬまま、それでもはらりとめし粒がほどけ、閉じ込められていた梅と紫蘇の香がここぞと立ち昇る。
良質なドラマと言ってもいい。シンプルな旨さは、それを思い浮かべるだけで、背後にひろがる風景が見えてくる。
そして現在、パリで感じるシンプルな旨さ。一つだけ取りあげるのはなかなか難かしい。‥‥いろいろ迷った末、ハムのサンドウィッチを挙げることにする。バゲットに切り目をつけたなら、バターを薄く塗ってハムを挟む。これだけ。
ぱりぱりカリカリと香ばしい皮の感触、封じ込められた気泡を含んでもっちりとした内側の歯ざわり。パン職人の腕で引き出された小麦の持つ表情の豊かさは、バターのなめらかな風味でいっそう確かなものになる。
パンとハムの幸せな出会い。しっとりとしたハムの自己主張はパンに包まれることでやわらぎながら、その存在を確固たるものとする。これだけでゆるぎない味のハーモニー、弦楽四重奏にも似た小宇宙を構成する。
バゲットはトラディション、ハムはシンプルなパリジャンを薄切りにしてもらう。となると、お気に入りのパン屋とお気に入りの肉屋を見つける、それが何より重要だ。
この重要な使命を、楽しみながら果たしていく。それがパリに暮らす喜びでもある。手作りのパン、自家製ハム。それを食べ比べながら、お気に入りを見つけ出していく。
片言のフランス語の注文を辛抱強く聞いてくれる肉屋のオヤジが、誇らしげに切り取ってくれたハム。もっとも一般的な商品だから、肉屋の顔でもある。むっちりしっとりしっかりした豚のモモ肉の旨味。
かつてはありふれた、カフェの軽食でもあった。グラスワインをちびちび、サンドウィッチを齧り、テラス席でぼんやり道行く人びとを眺める。それが最高のひとときだった。パリとの出会いの味だった。
タイ料理屋の亭主は、もう店をたたんでチエンマイ暮らしを始めただろうか。小さなカウンターの内側で、カミさんの郷里の味に目を細めていた表情が不意に浮かんでくる。にやけた顔をさらにゆるめて、目玉焼き乗せ香り米を頰張っているだろうか。