画伯、かく語りき

あなたは日本人ですか。‥‥そうだ、と頷くと‥‥僕は日本人が嫌いでね、そう言うと男は、はははと笑った。

呆気に取られていると、モンマルトルで絵を描いていたら、日本人ですか、と話し掛けてきたのがいる、面倒だから違いますとこたえたんだ。怪訝な顔してこちらを覗き込んでね、しばらく顔を見合わせて、大笑いし合ったよ。

日本人ですかと話し掛けてくるような日本人は、あんまり悪いヤツじゃない。だいたい日本人は日本人を避けて見て見ぬふりするものだからな、道に迷ったりまごついていたりしても。

それなのに、今日は‥‥と聞けば、日本人が嫌いだと日本人に話したかったのさ、澄ましてこたえる。‥‥どうやら僕の絵が気になるようだし。ゆっくりご覧なさい。ただし、申し訳ないけれど全部売れてしまったので、お譲り出来るものはない。

小柄で筋肉質、70歳前後か。姿勢正しく背筋を伸ばして話しかけてくるさまは古武士の風貌、黒澤明の映画「七人の侍」のいずれかを思わせる。にこやかに笑みを浮かべながら、時折射すくめるような視線が鋭い。

パリに暮らし始めたばかりの冬、現代画家の作品展示即売会をぶらぶら眺めに行った。巨大なホールを小さなブースに仕切って、人種も国籍も作品の傾向も実にさまざまな画家たちの作品が際限なく空間を埋めている。

そんな中、思わず立ち止まったのが画伯のブース。予備知識があってのことではない。デフォルメされた画面は、写実と抽象が入り混じり、特にどこと特定できるわけではないけれど、セーヌの向こうのサン・ルイ島と思われる夕景が基調になっていて、星屑とも花ともつかぬものが無数に降りそそいでいる。

島に立ち並ぶ建物から音楽の湧き起こってくるような幸福な安らぎに満ちている。なにより絵筆を握る画家本人の楽しんでいるのが伝わってくる。言い知れぬユーモアとぬくもりに抒情が混ざる。

40年以上も前、イタリアに留学してそのまま最初の結婚生活、北欧出身の奥さんの実家に向かう途中に立ち寄ったパリに、結果的には居着くことになった。

‥‥とことん考え抜いて決めたつもりのことと流れのままに身を任せたもの、この二つは対立するようでいて結局同じような気もする。パリに暮らすのは必然のようでも偶然のようでもあるし。結婚も3回、自然に一緒に暮らしていたかと思えば、ある日、突然終わっていたのを知ることもあった。

3度目は日本人でね、まだつづいています。ははは、お陰で日本語を忘れずにすんでいる。‥‥喉渇いたから、そのへんでビールでも飲もうか。展示してあるの、全部売れちゃったから、このブースを管理している画商にことわれば、いつ帰ってもいいんだ。

それはすごいですね。‥‥そうそう売れるものではない、と聞いていたからそう言うと、初日で完売っていうのはそうないことかもしれない。ユダヤ人の画商がふたり気に入ってくれてね、優秀なビジネスマンなんだ、特に熱心な若いのがいい客を連れてくる。

いい客っていう意味はね、その絵が好きか嫌いかで買うんじゃない、値が上がるかどうかで買う客。そりゃ真剣だから、こちらも刺激になる。

僕は日本人が嫌いでね。‥‥冷え切った身体でカフェの奥まった席に落ち着くと、画伯は再び目を細めて言った。このセリフを吐くのは愉快だね。

門外漢のあなたに言っても分からないだろうけれど、この世界で少しは名の知られた展覧会があってね、一般公募作品の審査員を頼まれたんだ。ある日、主催者に耳打ちされたよ「ムッシュー、あなたが審査員になることに抗議がきている」って。

日本から画家たち、それも連名で「日本画壇で評価されていない者を審査員とされることは遺憾」という内容だったらしい。主催者は、一応お知らせしておくと言って笑っただけだったけれどね。

僕は日本の画壇とやらとまったく没交渉で生きてきたんだけれど、恥ずかしかったね、怒りより恥ずかしかった。日本人として日本人が恥ずかしい。恥ずかしさを覚えることに、ああ自分は日本人なんだと痛烈に意識した。

ふだん気にもとめていなかったけれど、日本人という意識をずっと抱いてきたんだと、あらためて気がついた。‥‥だから恥ずかしい、いたたまれぬ思いなんだと。

イタリアからパリに降り立ったばかりの頃だから、もう何十年も前の話だけれど、モンマルトルのテルトル広場にスケッチに行くとね、日本人の画学生たちが固まっていて手招きするんだ。‥‥人種差別にあって、日本人は描かせてもらえないって。

そんなバカなことあるかってんで、絵描き連中の溜まり場になってるカフェに乗り込んでいったよ。そしたら、スケッチにやってくる者の人数があまりにも多いんで、なにかルールでも作らなければということだったんだ。

自分も絵を描きたいと主張するわけでもなく、すぐに群れてはあることないこと妄想してはひがんで引っ込んでいる。ちゃんと主張し交渉するより、差別されたとかなんとか言ってつるんでいるわけさ。

こういう連中ってのは、カフェに集まっていた絵描きたちには薄気味の悪い、奇妙な集団なんだ。だから、僕を喜んで迎え入れてくれて、酒を奢ってくれたよ。それがきっかけでヤツらとすっかり親しくなったのが、パリに居着くことになったきっかけの一つになった。

これで一件落着というわけだけれど、交渉がうまくいった後、それまで僕のところに集まってきていた日本人の連中がさっと引いていったよ。日本人からは仲間外れ‥‥ははは。

そうそうこんなこともあった。日本人の若い画家のひとりが、とある画商の目について少し売れ始めた。そしたら仲間が「あいつのビザは切れていて不法滞在だ」とタレ込んだ。何かと言えばつるんでいたヤツがだよ。

漠然とパリに暮らし始めてすぐの頃、画伯に出会った意味は大きかったと今にして思う。

‥‥これほど自然体に、じめじめせず陰湿さを語れるのはたいしたものだと感じた。真偽は問わず、話を聞くのが面白く、相槌を打っては引きつけられていく。

受けた傷の痛みを感じる繊細さと、それを客体化し笑いものにする勁さを、画伯は同時に持っていた。付け加えれば、溜まった想いをたまには垂れ流したいという抑えきれぬ欲求も。そして、そこにうってつけのぼんやりした日本人が現れた‥‥。

うってつけ、まさしくそうだったと思う。

ともかくパリで暮らしてみたい、その一念で渡仏したつもりでいたけれど、その願望の下に封じ込めていた想い、無意識のうちに追い払っていた感情があった。その想い、感情が画伯の話を聞きながら解き放たれ、形を取り始めたのだから。

ひと言でいえば、自粛と萎縮の日々だった。

生まれ育ち暮らした東洋の島国から離れなくてはやっていられない、精神的神経的にぼろぼろ、ずたずたの状態にあったことにようやく気のつく契機となった。

以来、水に入れたハマグリが砂を吐くように、少しずつ毒が抜けていく。叔父の病気見舞いを機会に一時帰国しようか、そう思えるようになるまで3年の歳月が必要だった。

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