たかが‥‥されど‥‥

サロン・デュ・ショコラは毎年一回開かれる、チョコレートの世界的品評会、権威ある祭典なのだそうだ。この分野でも日本発の製品は活躍している。抹茶、柚子は当たり前、醤油、山葵や酒粕など、和風味を活かしたものが評判になっているとのこと。

昨年賞を取ったというものをいただき、早速口に入れてみる。チョコレートと醤油の風味の組み合わせに、味覚の東西文化交流を感じていると、最後にふんわり鼻先に突き上げてくるにおいが残った。

昭和20年代から40年代に小・中学生、学校給食を口にした世代なら、多分どなたも覚えておられるだろう。「ミルク」と呼ばれていたしろもの、脱脂粉乳を。

粉っぽくどろりとした液体、見た目は牛乳そっくり。もとは牛乳なのだからそっくりなのも当然かもしれぬが、まるで異なる物質。なんとも奇妙奇天烈、不快感が鼻の奥から脳天に突き抜ける。あたたかければ喉にからみつき、さめていれば救いがない。

苦手というより苦痛だった。

給食のたびに残す。残すときには教師に申告しなくてはならない。成長期の子どもにとっていかに大切な栄養か‥‥毎日飲む、そう決められた規則に従うことが大切‥‥友情溢れるアメリカからのプレゼント‥‥給食のおばさんたちが思いを込めて‥‥まずいと思うからまずいので‥‥。

黒板の前に立たされ、ありがたく拝聴する。小柄な女教師から淀みなく流れ出ることばの洪水。毎日繰り返される紋切り型の説教。唇から大きくはみ出て塗られた口紅ばかり眺めていた。毎日同じ箇所がはみ出ているのは、彼女の癖なのだろうか。残さず食べて飲んだ「いい子」たちの見世物になりながら。

それでも残す。残すというより飲めない。教師に反抗しているわけではない。反抗心という確かなものに成長するには、まだまだ幼な過ぎる年齢だった。

‥‥飲まなかった者は掃除当番を割り当てられる。授業後に残され掃除する顔ぶれは次第に決まってきて、お互い気心が知れ仲間意識が芽生えれば掃除の手抜きを覚える。団結心からいってもさらに飲まなくなる。いつしか仲間の数も増える兆し。それだけ教師の怒りもヒートアップする。

お腹をこわしている場合は免除される。アレルギーという子も許される。アレルギーという言葉が何を意味するのか分からず、苦痛をまぬがれる特権を身につけた者という認識だった。アレルギーという身分がこの世に存在するのかと感じた。

父母会の個人面談で面罵された母親は肩を落とし、母親を怒鳴りつけて味方に引き入れようとする、その遣り方に不快感を覚えた。怒り半分教師の目の前で2、3杯飲み干してやろうと思う。やろうと思うだけで、ひと口飲めないものが3杯も飲めるわけがない。

反抗心の兆しとその挫折、せいぜいそんなところか。

残飯の入ったバケツを給食準備室に返しに行き、おばさん達に「申し訳ありません。またミルクを残してしまいました」と謝罪することを義務付けられる。おばさん達はきょとんとした顔をした後、一斉に笑った。

父親参観日、給食試食会とやらから帰ってきた父は「あんなもの飲まなくていい。あれは豚の餌だ、強制されて飲むものじゃない」と言った。その生涯を通して格好いいなと思うことは滅多になかった父親だが、このときは数少ない、頼もしささえ覚えたひとときだった。

くにがいくさに敗れ、占領国の政策に沿ってあてがわれたブタのエサの余り物、産業廃棄物をありがたがって押し戴く。それをまた恩着せがましく子ども達に配給する。‥‥その事実を知るのはもっと後年になってからだ。

現在の脱脂粉乳、スキムミルクと呼ばれるものは、もちろんあの時代の「ミルク」とはだいぶ趣を異にする。製法からいっても、保存状態からいっても。脂肪分が少ないから健康的だと、積極的に評価もされているらしい。

その証拠に、サロン・デュ・ショコラで絶賛されたものにも、脱脂粉乳は用いられているわけで、そのことに目くじら立てようなどという気は毛頭ない。その筋合いもない。純然たる嗜好の問題に口出しする気もない。

ただ、個人的には今にいたるも駄目だ。

あの独特の香りが口の奥に立ち込めるのを感じると、引きつづきそれを食べたり飲んだりする気にはなれない。フォークでひとくち掬ったケーキであろうと、乳酸菌いっぱいのヨーグルトであろうと、それにてストップ。もう充分。

もはや、これは味とか香りのうえの問題ではない。うまいまずい、好き嫌いなど関係ないのだ。

もっと別の問題。‥‥あえて言えば子ども時代に受けた屈辱。人間としての誇りにかかわる問題と言ってもいい。

大袈裟な、と思われるだろう。自分でも大袈裟だな、と感じるくらいだから。しかし、それにもかかわらず、だからこそ、大袈裟な問題にしておきたい。

たかが「ミルク」一杯。それでも、そこに侮辱と暴力を込めるには充分だし、それを忘れず生きていくにも充分なのだ、と。