ポプラの木陰で「ヴェラ」を:読書漂流

子どもたちが遊んでいる。一緒に遊ぶ若い父親の姿が目立つ。夏の陽光を全身で受け止めながら、日曜日を楽しむ親子連れの多くはアイスクリームを口にしている。

花壇をまわり込んだポプラの木陰にいくつかベンチが置かれ、眼鏡をかけた黒人青年がパソコンをひろげ、パナマ帽のムッシューとサングラスのマダム、年配カップルはお喋りに夢中、無造作に髪を束ねた女の子は日光浴しながら読書にふける‥‥。

さて、それでは鳩のフンのこびりついたベンチで、こちらも古びた文庫本をひろげることにしよう。

‥‥物語は、先祖代々の墓所からひとり戻った三十代前半の伯爵の描写から始まる。昨夜、伯爵夫人は激しい抱擁の果ての恍惚に、心臓が悦楽に耐えきれずに息絶えた。「死」は予期せぬ雷のように、うら若い美しい夫人を襲ったのだ。

親族知己の集まった儀式の後、霊廟の妻の棺とふたりきりのときを過ごした伯爵は、日暮れ近くにようやく腰を上げて墓所を出た。この場所には二度と戻るまいと決意し、その決意を込めて墓所の鍵を中に投げ入れて。

周囲とあまり付き合うことなく、閉じ籠もるように暮らしていた屋敷の部屋は、肘掛け椅子に脱ぎ捨てられた服からマントルピースに置かれた装身具、寝乱れたベッド、枕に残る彼女の頭の跡まで、何もかも昨夜のあのときのままだった。

‥‥二人で築き上げてきた世界が中断され、そこに宙吊りにされた光景が広がる‥‥。中断と宙吊りによって取り残された者はこのときどうしようとするだろう。

端正な歯切れのよい文章が快い。計算された斬れ味がイメージを豊かなものにする。磨き込まれた短篇、掌篇を読む喜びはこういうところにある。

他に背を向けるように二人きりで生きてきた、その相手を何の前触れもなく失ったとき、ひとはそれを認めがたいと感じる。認められないと思う。

伯爵にしてもそれは同様。ただ少し変わっていたのは、いやかなり変わっていたのは、それなら本当にそれはなかったこととして、これまで通り暮らしていこうとしたこと。

‥‥そして実際そうなった。

最愛の妻の死をまったく忘れ、夫人の肖像画の架かった部屋で、カーテンを揺らす風に夫人の息遣いを感じ、暖炉の上の鏡に夫人の後ろ姿がよぎるのを目にし、ベッドの向こうで眠たげなあくびまじりの声がするのを聞く。どこまでが幻想でどこまでが現実なのか、その区別さえ次第に意味のないものになっていく。

愛情と意志の力。それは完璧と思われた。

一周忌の晩、夫人の気配はいつにも増して濃厚だった。彼女と共にあった品々、ピアノの楽譜であれ香水であれ真珠の腕輪であれ、それらすべてが彼女の存在を指し示していた。そして、彼女はここにいるという絶対的な想いに支えられ、それに応えるように夫人は遂にその姿を現わした‥‥。

ところが‥‥。

唇を重ねた陶酔のあと、思わず伯爵が「ああ、そうだった。‥‥お前は死んだのだったな」と口にした途端、すべての物の存在の確かさは一気に飛び去っていってしまった。一切は消え失せていた。呆気ないほど簡単に。

身を起こした伯爵は、ひとりきりであることに今やっと気がつき、必死に問い掛ける「お前のところ、そちらへ行く道を教えてくれ」と。‥‥彼の呻きにこたえるようにベッドから落ちたのは、墓所の鍵だった。

柔らかな風にポプラの葉がそよぐ。深い緑と葉裏の白さがさざ波のように光り、緑色の巨大な古代魚が全身のウロコを波立たせながら垂直方向にゆったり泳ぎ出したかのようだ。パリの住宅街。午後十時まで明るい季節の陽光が眩しい。

黒人青年は同じ姿勢でパソコンのキーボードを叩いている。年配カップルの姿はすでになく、リセアンヌとおぼしき女の子は青い林檎を齧りながらベンチの上であぐらをかき、さらに読書に没頭している。

どうにも納得しがたい別れ。理解を越えた現実に宙吊りにされたとき、その現実を安易に受け容れるのではなく、この不条理な現実をこそ否定し屈服させられないかと考える。そう意図する人間の出てくることは自然だと思う。

自らの意志によって理不尽な現実を無に帰してみせる。そこまで伯爵が意識的であったかどうかまではともかく、現にこの試みは成功しようとしていた。少なくとも思わず伯爵が思わず言葉を洩らすまで。

ならばどうして、接吻の感触を残した当のその唇から決定的な言葉は洩れ出ていったのか。‥‥おそらく、ここに人間心理の機微がある。

これ以上の意志の発動は狂気に他ならない、精神の振り子が振り切れようとするぎりぎりの極限であったのだろう。

意志によって現実をねじまげられはしない。理性は動かしがたい現実とその受容を拠り所とする以上、伯爵は言葉にすることで現実を受けとめ、現世に立ち戻らざるを得ない。

夫人の甦りはやはり、強い愛慕の生み出した伯爵の妄想だったのだろうか。意志の力が彼岸と此岸の境界にかすかな変形を与えたと感じられたのも、束の間の美しい錯覚だったのだろうか。

そうかもしれない。

誰もが頷きやすい解釈かもしれない。

しかしその場合にも、疑問が首をもたげる。‥‥伯爵の許にある鍵‥‥。伯爵は一年前の葬儀の後、夫人の棺の置かれた墓所にそれを投げ入れ、そのままにした。

‥‥とすれば、いま手許にあるのは誰が持って来たものなのか。

作品は解答を用意していない。

こうして読者は宙吊りのうちに投げ出される。

巨大な古代魚、緑色に波立つポプラの葉のそよぎが目に優しい。

著者ヴィリエ・ド・リラダンについて、訳者・山田稔による「作者紹介」を下敷きに簡単に触れておく。ブルターニュ地方出身の没落貴族。極貧の中、19世紀後半の社会思想風潮に背を向け、反俗的な夢想、超自然的世界の讚美のうちに生涯孤高を貫く。生前はボードレール、マラルメ、ユイスマンスらごく一部にしか認められなかったが、歿後、象徴主義の先駆者として評価される。183889

ヴィリエ・ド・リラダン「ヴェラ」 山田稔・編訳『フランス短篇傑作選』(岩波文庫)所収

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