前立腺肥大、その大いなる日々

男子に生まれついたからと言って、特別の感慨はない。ただ男子に生まれついたのだなと、つくづく思い知らされることは年代に応じて多々ある。

胸を張って語るより、うつむき加減に薄笑いでも浮かべるしかない体験の、そのひとつが前立腺肥大。男子たる者、かなりの確率で加齢と共に受け容れなくてはならない。

やたら尿意を催すくせに、いざトイレに向かうとなかなか、肥大した前立腺に圧迫されてしょぼしょぼ、これでは膀胱が空っぽにならないから、またすぐ尿意‥‥。

職業上ほとんど座って仕事をする。会議に出ても、打ち合わせの席でも座っている。仕事を終えれば座って食事、座り通してだらだら飲み、ハシゴをしてはまたまた座ってぐたぐた飲む。

時間があれば座って本を読み、たまには座って映画を見る。コンサートしかり。気分転換が必要だと感じれば、家人の運転する横に座って外出、時には座って鉄道の旅に出る。

要するにベッドで横になっているとき、通勤電車に揺られているとき、路地裏を散歩するとき以外はほとんど座って、何十年という歳月を生きてきた。

大地の引力との関係で言えば、どうしたって下へ下へと引っ張られる。上の方から順々に臓器類が垂れ下がってくれば、下半身に位置する臓器ほど圧力の加わることになるし、鬱血もしてこよう。生活習慣病と言われれば、まったくもってその通りと頷くしかない。

おまけに採血検査でPSAとやらの値が引っかかり、癌検査の生検を2年で3回も受ける破目となった。これが痛い。つらい。なにしろ肛門から突っ込んだピストル状の器具で針を十数回発射、アトランダムに細胞を採集するという乱暴きわまるシロモノだ。

医者は認めたがらぬだろうが、これでダメージを受けぬはずはない。一挙に肥大は決定的なものとなったと確信している。

仕事の会議はやたら長い。何かといえば打ち合わせ。これがこたえる。宴席ではいつでも中座できるよう端に席を取り、レストランでの会食も同じ。立食パーティがありがたい。飛行機はもちろん乗り物は通路側に座席を取る。映画館からは足が遠のき、劇場ははなから諦め、これはと思うコンサートには覚悟を決めて‥‥。

しばしば眠りを中断されてトイレに立ち尽くす。すっかり眠気が吹き飛び、一度手放した眠気の再び訪れぬまま長い時間がつづく。深い深い夜の底に、しんしんと孤独感が落ちて来る。

いやいや、うっかりこの手の孤独感に身をまかせれば、それこそどうにかなってしまいそうだ。立ち戻ってこられなくなるかもしれぬ。‥‥笑ってみることにする。実際、はたから見れば笑うしかないのだから。

退職後のパリ住まいはいいけれど、こと前立腺肥大をめぐる環境という視点から言えば、事態はいっそう深刻さを増した。‥‥なにしろ、パリという街、トイレが少ない、いやほとんど見当たらない。

東京でなら、行く先ざきの街でトイレの在り処がインプットされている。立ち尽くす時間の測り難い長さから、後ろにひとが並ぶような場所は避け、デパートなら宝飾品売り場とか和服売り場とか空いていて清潔、婦人服売り場も男性には穴場。ホテルならロビーを横切り、奥まった位置にあるもの、宴会場に近いところとか、大型書店なら専門書売り場の個室を狙う‥‥。

かのヴェルサイユ宮殿にしても宮廷貴族の面々、紳士淑女は庭園の木陰で用を足したというし、パリではそれぞれ自室で器に溜めては窓から捨てるのが一般的だった時代もあるそうだから、もともとトイレに対する思い入れの少ない文化伝統があるのかもしれない。

水分摂取量も無視できない。水清く豊かな湿潤地域と、広大な乾燥した大地では、同じ農作物であってもそこに含まれる水分量は大きく異なる。当然ながら水が豊かかそうでないかによって、料理法も異なったものになってくるだろう。このように考えていけば全体的な摂取量にかなりの差異が生じそうだ。

そもそも身体的な特徴からして、彼らはそれほどトイレを必要としないように感じる。膀胱の大きさが違うのではあるまいか。同じ飛行機便で往復するたび実感するのは、ビールを何杯もやりながら一回も席を立たずに平気でいる連中の多いことだ。

穀物、野菜を多く食していた祖先以来の我らの食習慣から腸は長く大きく、その収納の必要性から胴長短足となり、膀胱に割り当てられる身体空間も少ない。こんな説をどこかで聞いた。酒席での戯言だったかもしれない。真偽のほどは知らない。

それでも、まがりなりにも文化的背景と身体的特徴を並べると説得力が出てくる。おまけに付け加えるとすれば利権説はいかがだろう。‥‥街を歩いていて尿意を覚えれば、どうしたってカフェに入る。全仏カフェ業界が公的空間におけるトイレ設置に反対しているのではないか。

まさか。利権大国、東洋の島国に育つと疑心暗鬼、考えることもさもしくなる。自嘲的な笑いを浮かべながら‥‥笑いごとじゃない。石の街の冷え込みは厳しいのだ。

一病息災くらいに考えていた。少し我慢すれば、たいしたことではない。なにかしら弱点のあった方が、人間、行動に奥ゆかしさが出てくるものさ、などと言い聞かせもしてきた。

しかし、さすがにまずい。いつでもどこでもトイレ優先、トイレ至上主義、トイレのことばかり考える。いっそのことトイレット考現学でも始めようかと思うほど。

見るもの聞くもの限られ、視野はせばまり意識は閉じられ、行動半径すぼまり、交友関係の縮小、思考力衰微、意欲減退、判断力は失われ、虚無的な無気力に覆われる。性格が歪み、神経が歪み、人間性が歪む。しまいには自宅、それもトイレの引きこもり、これがホントの雪隠詰め‥‥。

などと冗談ではないのだ。‥‥年貢の納め時、病院に行くしかあるまい。病院に行って、手術を受けるしか‥‥。

‥‥と、これが一年前。

ビールの美味い季節が巡ってきた、余裕をもってそう言える喜びを噛みしめる。以前のようにジョッキで2、3杯喉を鳴らして、などという気はない。濃厚な味わいのベルギービールを、食事の始まる前に一杯やればいい。この幸せは何物にも代えがたい。