哲学者や思想家のタイプではないと分かっていた。
科学者とも研究者とも違う。
実務家や実業人ははるかに遠い。
芸術家でもなければ、求道者などではさらさらない。
だからどうというわけではないけれど、自分の感受性や思考のカタチについて考えてみるのもそれなりの意味はある。限界と可能性を測るうえでも。遊歩者(フラヌール)という言葉と出会ったとき、はじめてこれかなと思いあたった。
街を散策する者。とりわけ行き先があるわけではなく、急いでいるわけでもなく、歩きながら、目に映り、鼻先に香り、耳許をかすめていくものを感じ取る。感じ取ったものが記憶の内にある光景を想起させ、あらたな夢想へのはばたきを促す。
そのように時を重ねてきた。
遊歩者の遊歩者たる所以である。
遊歩者の遊歩舎に依る所以である。
2017年1月