パサージュ・ショワズール:パサージュめぐり

メトロ、キャトル・セプタンブルの駅を出て、通りを背に南側を向くと、右にモンシニー街、左にショワズール街へ分かれる小さな広場のはずれに立っている。

モンシニー街の先は大きな石造りの建物の背面になっていて、この建物には一時オペラ・コミック座が入っていた。それを含めて1820年代、大きなプロジェクトとして開発されたひとつがパサージュ・ショワズールの開設だった。

広場からショワズール街を行き、サン・トーギュスタン街とぶつかったところにパサージュの入り口が開く。街の延長上に、そのままパサージュがつづく形だ。

19世紀はじめ、最先端を行く盛り場だったパレ・ロワイヤルと次第に賑わいを見せてきたグラン・ブルヴァール地域。ふたつの街区を結ぶ商店街は、立地として最高だった。

片や時代という名の舞台の、主役を狙うまでに成長しつつあった新興ブルジョワ、片や退場を余儀なくされつつありながらまだまだ充分な自覚には至らず、あくまで権威的施策をつづける復古王制勢力。両者の合作とでも言える開発計画ではあった。

そのせいかどうかは別として、一見、定規をあてたようにまっすぐ伸びるアーケード商店街というだけで、特にこれといった特徴はない。

それでなくとも、ここ何十年かで採光がよくなり整備され、妙に白っぽく明るくなった。清潔で衛生的になった分、カビ臭い、淀んだ空気と同時に「とき」の感覚もなくなった。

どこかのっぺりとしていて‥‥。少なくとも19世紀パリの余韻を呼び起こすように歩くには、かなりの想像力と妄想力を発動する必要がある。

と、いささかネガティブな物言いになったのは、異色の作家セリーヌの影響のせいもある。反ユダヤ主義のレッテルを貼られ、長い間作品の刊行されぬ状態のつづいた彼は、20世紀はじめ、子ども時代をここの67番地(後、64番地に引っ越し)で送った。その思い出を散文的、俗物的、小市民的な光景として、例によって熱狂的な饒舌でこきおろしているのだ。

もっとも、ヴェルサイユの豪邸に暮らそうが、見晴らしのよいモンマルトルの丘に住もうが、セーヌの川風流れ込む左岸に育とうが、いずれにせよ毒づくに違いないのが彼の個性。それにお付き合いすることもあるまい。少し気分を立て直すとしよう。

現に73番地、劇場ブフ・パリジャン座の裏口あたり、ここに立ち止まり五感をすませば、正真正銘19世紀パリの残り香を感じ取れる‥‥。

1855年の万博を機に評判となり、成功を博した軽妙洒脱なオペレッタ。その推進者であるオッフェンバックが、第二帝政の実力者モルニの支援を受け、手狭になった劇場から移ってきたのがここだった。

ステージの客席ぎりぎり、横並びに肩を組んだ女性ダンサーの一群が一斉に脚をあげる、あの華麗にして迫力満点、ラインダンスの音楽こそオッフェンバック。それは第二帝政時代の大衆的狂躁の象徴であり、ブフ・パリジャン座はその発信源だったことになる。

ちょうど日仏国交の確立された頃のこと。いかめしい武士たちは帝都巴里が享楽のちまたであることを見出し仰天しただろうか。いやいや上層の者たちなら、歌舞音曲に慣れ親しみ江戸の洗練された遊びの感覚も身につけていただろうから、案外すんなり溶け込めたのではないだろうか。

‥‥このまっすぐ長いパサージュにもさまざまな顔が宿る、とつくづく感慨をおぼえるのは23番地を通りかかったときだろう。オッフェンバックの劇場が出来た頃から第一次大戦前まで、かつてここには文学史上名高いアルフォンス・ルメートルの書店があった。

書店兼出版社。ルメートル自身が詩人でもあったせいで、ここは時代最先端の感受性で言葉を研ぎ澄ませる、詩人たちの溜まり場となった。ヴェルレーヌの最初の詩集が刊行されたのもここだった。

詩人たちの多情多感な言葉が隘れる、詩集専門の小出版社。パリを目指した若き詩人のタマゴたち、彼らにとって文字通り神殿だった。この磁力に惹かれた若者たちのうちに、ランボーの姿も見出せただろうことも想像に難くない。

現在、そんな過去をしのぶよすがもない。‥‥むしろ、それはそれでいっそすっきりしている。そう言うべきかもしれない。

パサージュを抜けるとそこはプティシャン街。いわゆる「日本ムラ」と呼ばれる一角には、和食レストラン、菓子屋、食材店からファッション、小物を扱う店、語学学校、旅行代理店、不動産屋‥‥。日本語の飛び交う街区がひろがっている。

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