クロワッサン街:ペンの力を信じて

19世紀、近代化の波動が世界へ向かうとき、大きな役割を果たしたのは「新聞」だった。

パリ2区のブルス(証券取引所)を囲むリシュリュー街、レオミュール街、モンマルトル街、サン・マルク街に面したあたりはさながら新聞の王国、揺籃期ジャーナリズムのねじろの様相を呈していた。

その中でもとりわけ聖地と言っていい場所として、モンマルトル街にクロワッサン街が口を広げる丁字路の辻をあげたい。現在ではこれと言って特徴のない、ぼんやりしていたらそのまま通り過ぎてしまいそうな街角ではある。

幸運にして行き過ぎずこの地点に立ち止まったなら、まずはクロワッサン街に向かって右側角、数多くの彫刻をほどこされた白い建物正面に貼り付けられたプレートを確認していただきたい。

‥‥1898年1月12日、この建物内に事務所のあった新聞「オーロール」の編集長ジョルジュ・クレマンソーのもとを、作家エミール・ゾラ自ら、彼の手になる大統領宛ての書簡形式を取った告発文を持って訪れる。翌日の第一面を飾ることになる「我れ、弾劾す」である。

アルザス地方出身のユダヤ人大尉ドレフュスが、ドイツのスパイ容疑で告発され、ギアナに流刑された。普仏戦争の屈辱的な敗北以来ドイツに対し蔓延していた屈折した心情と、反ユダヤ主義の結びついた歪んだ愛国主義が背景にはあった。

そのでっちあげと不公正な措置に対する抗議と告発として、一本の記事によって、ゾラは真正面から闘いを挑んだ。そして砲弾よりはるかに有効な抵抗の道具、ペンの強さを知らしめることとなる。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、フランス社会を二分するに至ったドレフュス事件。実直な軍人に着せられた汚名を最終的に晴らすまでには、長い時間と紆余曲折が必要とされた。

それでも、知識人の現実へのコミットには画期的な意味があった。エミール・ゾラという、当時もっとも影響力のある著名作家が仕掛け、多くの知識人がそれにつづかぬ限り、誤りのただされることはなかっただろう。

闘いの火蓋は、まさにこの建物の中で切って落とされた。

ゾラはドレフュスの名誉回復という決定的勝利を目にする前に他界し、微妙な時期の事故死は今にいたるもさまざまな臆測を呼んでいる。一方、編集長だったクレマンソーは、後に第一次大戦からヴェルサイユ講和条約にいたる時期の首相として活躍することとなる。

もう一度辻を見渡せる位置に引き返したら、今度は左側のカフェに注目しよう。大型のプレートが貼り出されていて「ここにて1914年7月31日、ジャン・ジョレス暗殺さる」とあるのが見えるだろう。

1914年クロワッサン街、夕刊紙売り出しの光景

自ら創刊した新聞「ユマニテ」で論陣を張る一方、実践的な政治家として社会党の創設メンバーでもあったジョレスは、第一次世界大戦を回避させるため最後の最後まで奮闘する。

抜き差しならぬ対立に陥り一触即発の国家群を向こうにまわし、そこに属する民衆が国家の枠を超えて連帯して手を組む、連帯した民衆が国家の政策にノンを突きつけ、なんとか戦争を未然に防げぬものか。

反戦平和の国際的な呼びかけに獅子奮迅のさなか、極右愛国主義者の手によって斃され、彼の壮大な試みも水泡に帰すこととなる。戦争に向けた総動員令の発せられたのは、翌日のことだった。

‥‥このエピソードに触れたのは実は何十年も前、マルタン・デュ・ガールの長篇小説「チボー家の人々」によってだった。当時、あまりに劇的な展開にまさか実在の人物だとは思わず、ずっと創作上の人物だと信じて疑わなかった。

ミッテランが大統領になったとき、尊敬する先人としてジョレスの名を挙げたという記事を読んで、恥ずかしながらはじめて、こういうスケールの大きな人物が実在していたのだと思い知ったのだった。

一度でもフランスを訪れた人なら、ある程度以上の規模の町には、必ずと言っていいほど彼の名を冠した場所のあることをご存じだろう。もちろん、パリにもジャン・ジョレス大通りがある。

2014年7月31日

2014年7月31日はジョレスが斃れてちょうど100年、この日パリに在るという想いを噛みしめ、この場を訪れてみた。プレートの前にフランス大統領、パリ市長からはじめ、多くの花束の捧げられているのを見て、なぜか深い安堵を覚えた‥‥。

新聞が新聞としてあった時代。この辻に立つと、そんなことをぼんやり考える。

エミール・ゾラとジャン・ジョレス。いずれも、フランス共和国にとって精神的英雄たちの集うパンテオンの地下で、永遠の眠りについている。

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