日本語が駄目なんでしょうか

硝子一面大きな窓いっぱいの夕景。雲間から洩れる陽は朱を帯び、次第に朱を濃くしながらまだまだ日没には間がある。窓の下辺を左右に街が伸び、それに接するように丹沢山系が横たわる。

雲がかかってしまっていますね。丹沢山系の向こうに富士が裾野をひろげていて見事なんです、それをお見せしたかったのに。

一時帰国に際してぜひ顔を合わせておきたいと訪ねた八王子、ビルの最上階にある喫茶室でY澤くんは、残念そうに笑った。あご髭生やしたヤギが笑うとこういう顔になるのかな、と思わせる表情が懐かしい。何年ぶりになるだろう。

ひと通り互いの近況など報告し合ったあと「日本語が駄目なんでしょうか」、外した眼鏡のレンズを拭きながら、ちらりこちらを眺めて呟いたから驚いた。

高校生の頃から国文学に取り憑かれ、信州の生家、元カイコ小舎だった蔵に閉じ籠って読書三昧、知り合った二十歳の頃にはもうどこか老成した古文書研究者の風貌を宿していたY澤くんは、当然ながら人一倍日本語への想いは深い。それだけにこちらの驚きも大きい。

日本語、朝鮮語は同根の言葉ですが、ご存じのようにその起源となるとミステリアス、謎に満ちています。よく膠着語とか粘着語とかいう話になりますけれど、それだけではなく大小さまざま実に多くの特徴を含んでいます。

ここ何年か、主に江戸期の坊主たちの記した漢文を読んできました。そして遅蒔きながら実感するのが用言、述語の問題です。中国語では動詞と決まっています。これは英語でもフランス語でもロシア語でも同様ですが、日本語の場合、動詞とは限りません。

テーブルクロスは白い。このビルは高い。‥‥白い、高い、形容詞でしょ。形容動詞や名詞に助動詞のついたもの、これも同類です。‥‥ラウンジは殺風景だ。コーヒーは薄い。しかし窓の外にひろがるパノラマは雄大だ。‥‥助動詞を取って名詞だけでも構わない。売り物は夕景。これは絶景‥‥。

Y澤くんは再びヤギの笑みを浮かべた。いくぶんしなびた微笑、それが歳月を経て柔らかな表情になった。ほかに誰かが混ざれば互いに呼び捨てになって「俺お前」の砕けた言葉遣いになるのに、なぜか二人きりで顔を合わせると、くん付けで呼び合いデスマス調になる。

感情の表出、流れ出る情緒を語るにはいいと思うんですがね。そこで言い切りというか、これにておしまい。はい、それまでとなってしまう。感嘆というか詠嘆というか‥‥。

たとえば「この花は美しい」という文章。同じ意味でも中国語なら述語は動詞です。英語でもbe動詞、フランス語ならêtre動詞が機能している。形容詞が述語になっている日本語とは微妙にニュアンスは異なってくるんです。

剝き出しの形容詞は、感覚が口をついて出た生なことば、感情、感動の表現という感じです。「この花は美しい」と言われたら、ああこのひとは、この花の美しさに感じ入っているんだなと認め、そこで黙るしかない。ことばのキャッチボールとしての会話という観点から言えば、ここで会話は終了です。

この花は美しいものとしてあります、格別な美しさを表しています、美しく思います、美しく感じさせる何かがあります‥‥。日本語で表すのは難かしいですが、動詞でまとめられると、その言葉を受けた者は、それに対して問いを発したくなります。

この花って何、どんな種類でどう咲いているの、どのように美しいの、その美しさは独特のものなのかな、とりわけ今見たから美しく感じられたんじゃない、美しく感じる心理状態とは‥‥などなど。ここから会話はむしろ始まっていく、少なくとも広がっていく。

日常的によく体験するでしょう。‥‥悪いのはお前だろ。あなたっていやらしい。これこそ天命。先生はいつも正しい。規則は守るもの。‥‥この種の言葉のオンパレードですよね、感情的な言い切り。情緒の投げつけ。断言。

短歌や俳句にはいい、詩歌に向いている。清少納言の「枕草子」など考えると、1000年前のみずみずしい感性が時を超えてしなやかに伝わってくる。なんと素晴らしい言語なんだろう、小説、それも長編となると少し弱くなるけれど。

ずうっとそう思ってきました。しかし論理の構築、コミュニケーションの積み上げとなると、やはり苦手なんですね。‥‥その根拠はここにあるんじゃないかと考えると納得できます。

レンズを拭き終えたまま放り出してあった眼鏡を掛けると、Y澤くんは目をしばたたかせて小首をかしげる。これはまだまだ話しつづけるぞというとき見せる彼のしぐさで、人間変わらぬところは変わらぬものらしい。

ついでに言えば、今でも伊達メガネで、度数は入っていないのではないか。古文書を読んでいる者が視力二点零では恥ずかしいでしょ、ずっと近眼のフリをしているんです、と、いつか笑っていた。

‥‥数式や化学式を用いる自然科学ならまだいいでしょう。しかし人文科学系社会科学系ではかなりのハンデでしょう。‥‥Y澤くんは視線を落とし、一拍置いてからつづけた。‥‥そして政治。あのていたらくは何なのでしょう。あの、ひとを侮辱し舐めきった言説は、端的に言葉が機能していないということを物語っているわけでしょう。

論理とコミュケーションによって成り立つ政治が、この国にはそもそも成り立っていない。根付かない。‥‥この間の現実はそれを示しているんだと思います。

日本語が駄目なんでしょうか。日本語を使っている限り駄目なんでしょうか。近代以降、日本語は時代に適応できなくなっているのではないか。‥‥そう疑問を反芻せずにはいられぬ日々です。

うーん‥‥。今や丸ぶち眼鏡を掛けた、ヤギのぬいぐるみといった風情のY澤くんに、唸ったきりどう応えていいか分からなかった。

‥‥そうなのかもしれない。そうでないのかもしれない‥‥。

確かなのは、それでもわれわれは日本語で思考し、日本語で伝えていくしかないこと。好むと好まざるとにかかわらず。そして、もうひとつ。少年時代から半世紀にわたって自覚的にこの言葉とかかわってきた者が、今ここに来て「駄目なのか」と疑いを表明しなくてはいられぬこと。

‥‥戦後まもなく、白樺派の代表的作家「小説の神様」志賀直哉が、日本語を廃止して公用語をフランス語にしたらどうかと提案したという話を思い出す。言葉と真剣に向き合った者たちが発せざるを得ぬ、深い憂鬱のようなものがそこにはあるのだろうか。

ここ八王子はかつて絹の集散地として栄えた地です。なかなかいい地酒もあります。そろそろ一杯やりに出掛けましょうか。‥‥窓の外では、沈む夕陽が最後の朱の余韻を投げている。一日の終わり。すっかりきらめきを増した街の灯がまたたき始めている。

返事を書く