68年5月からの呼び声

街の書店のウィンドウは、68年5月を特集するディスプレイになっていた。満50年、半世紀を経て、今、歴史として捉え直そうというのだろう。

写真集、ドキュメンタリからハンドブック、解説書から歴史的意義を問う学術書、バンデシネ、子ども向け絵本にいたるまで豊富な刊行物の展示に目を瞠る。

‥‥16歳。都立高校の生徒だった。

何が起こっていたのか分かっていたわけではない。世界の内にわれわれはいかに在るのか読み取れていたわけでもない。それでも何かを感じ取ってはいた。

是枝監督「万引き家族」のパルムドール獲得で話題になった今年のカンヌ映画祭。そのポスターはゴダールの「気狂いピエロ」、ジャンポール・ベルモンドとアンナ・カリーナの写ったものだった。68年5月、カンヌ映画祭を「粉砕」したゴダールの作品を記念に採用というのが、なんとも心憎い。

東京の高校生は、新宿三丁目明治通り沿いにあったアートシアターで、このときのニューズフィルムを観た。ゴダール、トリュフォー、ルイ・マル、クロード・ルルーシュなど映画祭を中止させた面々がインタビューを受けている映像だった。

つづいて映し出されたのはカルティエ・ラタンで、ひとりアジテーション演説をする男の姿。通行人の反応などお構いなく、時に拳をかためて訴える。「フランスの赤尾敏は左翼なんだ」、観客の誰かの発言に劇場中が爆笑に包まれた。

数寄屋橋はじめ何ヵ所かのポイントで街頭演説をこなしていた有名人、大日本愛国党総裁に言われてみればどこか似ている。それがシャンソン歌手レオ・フェレを視覚的にとらえた、はじめての機会になった。

50年記念。パリのそこここに、記憶を呼び覚ます仕掛けが設けられ、忘却の淵から揺り起こされる。

市庁舎では「パリ1968」と題されたジル・カロンの写真展。戦闘下のインドシナで行方不明のままとなった写真家の作品は、写真の持つ本来の力、すなわち瞬間を切り取ることで状況を封じ込め、視覚化する凄みに満ちたものだった。

老いたドゴール。大戦下にレジスタンスを糾合し、ナチスからフランスを解き放ったカリスマ政治家も、もはや輝きを失い、旧弊な権威の象徴に堕している。時代は情け容赦なく過ぎ去っていく。

皺の刻まれた思慮深けな老人は、困惑している。衰えを自覚してもいる。個人的な衰えと時代の閉塞感の差異を計りかねている。困惑と同時に憤ってもいる。自尊心の遣り場を推し量っている。

伝説的な学生運動リーダーである「赤毛のダニエル」には、この写真展ではじめて生身に接することが出来た気がする。ナンテール校で学生たちの討論の輪の中心にいる姿、機動隊に囲まれながらソルボンヌ校舎に入り込む姿。

芝生の上で寝転ぶ者、腕を組む者、メモを取る者、タバコを吸う者、思い思いの姿勢の学生仲間の中心で、笑いかけるように何かを話している。鋭角的というより、柔らかな包容力に満ちている。

とんがった、いかつい顔の機動隊に囲まれても、冗談を口にしているかのように笑みを絶やさず話しかけ、何ひとつたじろぐ風もない。ハリのある顔、眩しいほどの若さ。信じられぬほどの落ち着きと快活さを含んで。

マレの古文書館での特別展示も目にすることが出来た。眩しい光に満ちた外の回廊には68年当時の、ホー・チ・ミンの写し出された大きなポスターが貼り出されていた。何十年ぶりかで目にするヴェトナム戦争の英雄は精悍で、インテリジェンス溢れる表情だった。

‥‥ヴェトナム戦争があり、紀元節の復活があり、安保の改定があり、沖縄返還協定があった。日米関係は新たな秩序に移ろうとしていた。

名曲喫茶でウインナコーヒーを飲みながらクラシック音楽も聞いたし、ラジオから流れ出てくるビートルズ・サウンドに身をひたしもした。それでもあの時代、新宿渋谷御茶ノ水どこの街のどこへ行ってもジョン・コルトレーンが流れていたような気がする。

モンパルナス駅の売店で手にしたグラビア雑誌の特集号には、68年5月に呼応して、世界的規模でひろがった学生運動の写真の数々が掲載されていた。

その中には日本のものもあった。東京沖縄三里塚、何枚かの写真のいずれもが、党派ごとに塗り分けられたヘルメットをかぶり、タオルで顔を覆い、濃紺のかたまり機動隊と対峙する写真だった。

街に出て学生が政治的な意思表明をするとき、党派性を明らかにしながら個人の顔は覆う。‥‥それは、ヨーロッパ、北米、南米、オセアニア、他の国々の学生運動とは異質な何かを表しているようにも思える。

50年前には、その中にいて当たり前でしかなかった光景が、特殊な彩りを帯びてくる。

ヘルメット姿の学生たちとそれを抑え込むカマボコ形の大型車輛、濃紺の武装警官たちの隊列。それが、われわれの時代だった。‥‥コルトレーンが聞こえていた。それは多分、個人的な記憶の残響として。

パリの街で、16歳の見ていた光景のかけらが浮き出てくる。印象の断片と思考の断片がひらひら舞う。まだまだ、ひとつの像としてまとまった姿にはならぬまま。

歴史という舞台のどこにいて、何をしていたのか。しようとしていたのか。何者であり、何者であろうとしていたのか。‥‥われわれは、そしてこの「わたし」は。

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