マモンのいない昼下がり

百年ほど前に建てられた重厚な石造りや、漆喰壁のしっかりした建物であっても、内部の仕切りは外壁に比べお手軽に出来ているせいだろう。パリのアパルトマンは上下左右、隣人たちの音が聞こえてくるのが一般的だ。

歩きまわる靴音、水道やガスのパイプの鳴る音、フライパンで肉を焼く音、テレヴィにラジオ、来客たちと笑い興じる声。昔ながらの市民生活は、現代的な防音建築に暮らすのとは訳が違う。

螺旋階段を駆け上る足音は、上のアパルトマンに住む男の子のものだと分かる。ときどき玄関先で擦れ違う10歳前後の少年は、上機嫌で鼻歌まじりに通り過ぎ、上階の入り口で呼び鈴を鳴らした。

‥‥最初は短く、次第に長く。幾度か繰り返し‥‥誰も出ない。と、今度は扉をノック。小さくゆっくり様子をうかがうように、いつしか拳に力をこめて。

‥‥少年のノックの音にかぶさるように、昭和30年代半ばの東京、住宅街の昼下がりが見えてくる。

ランドセルを背負った小学生は木戸を開け、玄関のドアに向かう。しかしそのわずか数歩の距離のうちに、すでに家には誰もいないと確信を抱いている。何故なら、誰かいれば勢いよく吠えるポロが、犬小屋から出てきさえしないから。

それでも確信を砕いてやろうと大声で「ただいま」と叫ぶ。留守の家は醸し出す表情そのものが違う。いつもなら包み込むように迎え入れてくれる場が、一転、居丈高で冷笑的な拒絶を表明している。目の前にありながら、家が遠ざかっていく。家なき子になってしまったのではないか、心細さがどこからともなく降りてくる。

あの心細さ、その心情を想い出せば出すほど上の階の少年が気にかかる。次はどうするか、どう出るか、好奇心は膨れ上がり、より一層耳を傾ける。激しく強く扉を叩きつづけ‥‥遂には「マモン、ママン、ママーン、」と呼びかけ始める‥‥。

心細さは拭う必要があった。拭えないならせめていっとき忘れる必要が。昭和の子どもはランドセルを玄関脇モッコクの木の根元に置くと、先日来気になっていた蟻の巣を眺めようと思い立つ。残した給食のパンを犬小屋の前に置けば、ポロだって顔を出す。そしたら引きずり出し、抱き上げて口のなかに蟻を突っ込んでやろう。

上の階の少年は、激しく扉を叩きながら、マモン、マモン、‥‥懸命な調子は次第に呻き声へと転じていく。「どうしてなの」「分からないよ」自問調になるかと思えば、搔き口説くように囁きかけ、一転叫び声‥‥遂にはしゃくりあげ、息も絶え絶えに呼びかける。

うーむ、役者だ。なんたる表現力。伊達にオペラ座があり、コメディ・フランセーズがあるわけじゃない。思わず唸り声をあげてしまうほど。

すっかり興奮したポロに服を泥だらけにされながら、それでも母親はもうすぐ買い物から帰ってくるだろうと考えた。放課後のクラブ活動が短縮になったせいで、ぼくの帰りが予定より早過ぎたんだ、そのうちおやつに中村屋のかりんとうを買って帰ってくる。もうすぐ、もうすぐ‥‥ポロのお腹を撫で、頰を舐められるにまかせ‥‥。

つい何日か前にはさかんに巣穴から丸く固めた土のかたまりを運び出していた蟻が、今日はどこかに出払ってしまったか見当たらない。モッコクの小枝を折って、巣穴に突き刺してみる。‥‥それとも妹の学校のPTAだったかもしれない。‥‥ランドセルからプリントと筆箱を出して、算数の宿題を片付けてしまおうか。

喉を締め付ける不安を、口を一杯に開いて外へ絞り出してしまえば少しは楽になれる。ブロンドの少年はそう感じ取ったのだろうか。‥‥昭和の幻影が薄れると、にわかに少年の不安に取り憑かれる。もしかしたら、急病か何かで少年の母親は上のアパルトマンで倒れてでもいるのだろうか。

管理人のオリヴィエさんを呼びに行こうか。もう少し、様子をうかがおうか。‥‥出て行ったところで、言葉の不自由な東洋系のおっさんに何ができるというのか。

いやいや。そういう問題ではない。場合が場合だとしたら‥‥。階上のアパルトマンの様子を見に行くのが先だろう。それとも、やはりオリヴィエさんにまずは知らせて。

待て待て、もう少し。誰も騒いでないじゃないか。この建物には昼間でも結構住民がいる、その誰も動いていないということは‥‥動じるほどのものではないという証拠だろう。

それにだいいち、こちらがうろたえてどうする。落ち着いて。様子を見に行くにしても、着替えくらいして‥‥。手順を考えて‥‥。

‥‥と、かたかた機械音。エレヴェーターが昇り、階上でゆっくり止まる。アパルトマンの入り口で「あら坊や、もう帰っていたの」、マモンの低く冷静な声に、全身の緊張が一気に解けた少年は「信じられないよ。‥‥ぼくは‥‥ぼくは‥‥」‥‥。

帰宅。当然出迎えてくれるはずと思い込んでいた者の不在。拍子抜けしたあと襲われる、胸のつぶれそうな不安。‥‥玄関先の陽射しを浴びて、昭和の子どもは不安をまぎらわせる。

もがく飼い犬を抱えながら蟻の巣穴を覗き込んでいる少年の、どこか必死な首筋が午後の陽光に細く浮かび上がって見える。

笑いがこぼれる。‥‥そういうことなのだ。どちらがいいとか悪いとか、そういう問題ではない。

ただ、瘦せ我慢をみずからに強いる文化のうちに生きてきた、そしてその文化が結構嫌いではなかった。昼下がり玄関先にうずくまる少年に、そう話しかけてやりたいとは思う。

母親が戻ってきたら何事もなかったかのように、ポロの話か蟻の巣穴の話をする。それがぼくらの文化の流儀だったし、これからもそうなのだろうと。薄く笑いを浮かべたまま。

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